全方位で戦っていかないとダメな時代。
総合的な見せ方が重要ですよね。
洋楽部でエッジーな音楽を
もともとはエピック・ソニーで洋楽担当だったそうですね。
ジャミロクワイ、セリーヌ・ディオン、テレンス・トレント・ダービーなどをやってました。90年代当時、小山田圭吾くん(Cornelius)と一緒にイギリスに遊びに行ったんです。そこで、キーパーソンだったジャイルス・ピーターソン(ラジオDJ、レコードレーベルオーナー)にジャミロクワイという面白い奴がいるって聞いて、ライブを観たら曲が良くて。偶然出会った向こうのエピックのA&Rにサインしろと盛り上がりました。
そんな流れもあってか、90年代初頭にはソニーミュージックでテクノ、そしてドラムンベースに特化したイノベイティブなセクションから宮井さんはLTJブケム、フォーヒーローをリリースすることに。
もともとはケン・イシイくんがいて、彼はR&Sという海外のレーベルで活躍していて、その逆輸入から始まりました。
小室哲哉と丸山茂雄
そして、1998年以降ソニーミュージックTRUE KiSS DiSCにて、小室哲哉さんのレーベルを担当されるという。
当時、小室さんはヨーロッパでEUROGROOVEというダンスミュージックのプロジェクトをやっていたんです。あと、H Jungle with tではご存知の通りジャングルも手掛けていて。あの頃、小室さんはシングルを出したら100万枚以上というすごい世界でした。僕は、鈴木あみを担当していて。それこそアイドルカルチャーを手掛けたのも初めてでした。とはいえ、最初はもっと安室奈美恵さん寄りというか、アーティスト寄りなはずだったんですよ。でも、曲を出したら男性ファンが多くて。小室さんがすごいのは、そこでアイドル調にシフトしたんです。ユーザー目線であるということに影響を受けました。
TM NETWORKのカバー「BE TOGETHER」などヒットが続きましたね。
もともと小室さんはソニーミュージック専属アーティストだったんです。trfも実はエピックからという話もありました。でも、実現せずにエイベックスになって。小室さんのマネージメントはソニーのアンティノスで丸山茂雄さんがやっていたんですけどね。
その後、2003年にはソニーから独立された丸山茂雄さんが設立した247Musicへ宮井さんは移籍されるという。
丸さんは、僕にとってはオヤジ的な存在でした。海外レーベルのミル・プラトー(フランクフルト)やソナー・コレクティブ(ベルリン)の音源を日本で出して。
クリエイティブな素晴らしいレーベルですよね。そして、「mF247」という画期的な音楽配信サービスもやられていた。
カウンターカルチャーですよね。でも、ちょっと早すぎました。今でいうSpotifyのような考え方だったのですが。マーケティング的には良かったんだけどね(苦笑)。
スターダストでアイドルを育成
現在の活躍に通じるスターダスト音楽出版へは2005年に入社されました。
丸さんがご病気になったのがきっかけで、会社をたたむことになって。その後、スターダストの会長に誘っていただきました。今、丸さんはとっても元気なんだけどね。
なぜ、宮井さんがスターダストでアイドルプロジェクトを立ち上げることに?
アイドル部門はなかったんだけど、素質ある女の子がいっぱいいたんですよ。会社がどんどん女優やタレント志望の子をスカウトしてくるんだけど、まだ小学生だったり幼いから、やることもなくて日々歌やダンスのレッスンをしていて。それを見ていて、だったらオリジナル曲作ってデビューしたら面白いよねって。うちでいうと、女優のオーディションに行ってもなかなか受からない子は“次の人生を”ってやめていく子が多かったんです。だったらもったいないからグループを作ろうって、3B juniorという大世帯チームにして。そんなこともあって、スターダストで音楽を作り始めることになりました。
2008年に誕生したももいろクローバーZ(当初はももいろクローバー)は楽曲力や人間力の高さが評価されて音楽ファンを巻き込み人気に火がつきました。
当時、AKB48さんの劇場のそばでチラシを撒いたりしました。うちは“今会える”からって(苦笑)。そんな感じからでしたよ。隙間からというか。怒られながらね。
ちょうどPerfumeが盛り上がったり、アイドル文化に多様性、新たな付加価値が生まれた時代でした。ももいろクローバーZは全国のヤマダ電機の空きスペースでオープンにライブをやるなど広げ方も独特でした。
知ってもらうために考えて。当時はテレビに出られるわけでもなかったから。マネージャーの川上アキラくんが「うちは新日(新日本プロレス)だから」って、ポジショニングをよくプロレスでたとえてました(笑)。
なぜ、ももいろクローバーZは成功したのでしょうか?
ももクロに限らずだけど、もともとアイドルをやりたかった子じゃないところからスタートしていて。最初はグダグダなんだけど、その成長過程をファンと一緒に楽しむというか。ステージで泣いているところから始まっているのがうちっぽいかな。
独自マーケットを開拓して広げていくことは発明だと思いました。ここから、私立恵比寿中学はもちろん、TEAM SHACHI、たこやきレインボー、ばってん少女隊など地方とも結びつき、ときめき♡宣伝部やB.O.L.Tなど、様々なコンセプトのアイドルグループが誕生しました。
今、男子グループも増えていて。最初は超特急からだね。基本はももクロと同じ手法。“今日から君は超特急だ!” “えっ、超特急!? そんな名前でいいの?”って(笑)。
アイドルカルチャーに新しい風を吹き込みましたね。
基本は、“なんちゃって精神”なんですよ。K-POPがやっているようなクオリティではできないから。でも、前山田健一(ヒャダイン)さんとの出会いは大きかったかもしれません。彼も、誤解を恐れずに言えば、変な意味じゃなくて“なんちゃって”なんです。昔の歌謡曲へのリスペクトもあって、それを今に置き換える天才的な能力があって、各グループの才能を引き出してくれました。
う〜ん、“なんちゃって”ってうまい言い方に置き換えられませんか? なんか誤解されそう。もったいないです。
オマージュ!? 違うか(苦笑)。でも“なんちゃって”が一番わかりやすいかな。
言い換えれば、カウンターカルチャー精神かもしれませんね。とはいえ、楽曲、作品力へのこだわりは強かったですよね?
僕の場合は、小室さんに学んだ経験が大きかったかもしれません。どんな曲にしようとか、さっきも話したけど臨機応変なところとかね。たとえ後付けでも、形にしてしまうってすごいことだと思うんです。
今の時代の音楽の在り方
今後、宮井さんはどんなことをやられていきたいですか?
スターダストって2種類あって、アイドルと、それこそGReeeeNやYUI(FLOWER FLOWER)、andropとかアーティストもいて。最近、アイドルに偏りすぎていたので、自作自演の表現者を育成しています。もちろんアイドルも力を入れてるんだけどね。男性アイドルも、DISH//やSUPER★DRAGONなど面白くなってきました。
今、世の中の音楽の流れはCDからストリーミングや動画へと過渡期となっています。いかが思われていますか?
音楽は、重要なんだけどグループを知っていただくためのきっかけのひとつだと思っています。昔にくらべると、ヒット曲を出さないといけない圧力は減っているというか、知ってもらうための方法論が増えましたよね。音楽はその中のひとつ。全方位で戦っていかないとダメな時代。衣装やMV、SNS、振り付けなど総合的な見せ方が重要ですよね。
とはいえ、私立恵比寿中学が注目の新しい才能、さなりやMega Shinnosukeをいち早くフックアップするなど、音楽シーンにとっても相乗効果が高いと思います。
自由度の高さはあるかな、うちは。それこそ“知ってもらうためのきっかけ”を作るのがスタッフの仕事なので。サブカル好きだから、うちのスタッフは。カウンターカルチャーなのかもしれないね。
現在およびこれからの音楽業界、マネージメント、アーティストに期待することは何でしょうか?
もっといろんなタイプの表現者が出てくるといいよね。どうしても同じようなものに偏ってしまうから。そこはうちらもがんばらないといけないところだけどね。
PROFILE
宮井 晶
1963年、大阪生まれ。上智大学卒業後、1986年にソニー・ミュージックエンタテインメント入社。エピック洋楽ディレクター、小室哲哉のTKルームのディレクターなどを経て、2003年に丸山茂雄とともにインディーレーベル247Musicを設立。2005年にスターダスト音楽出版に入社し、ももいろクローバーZ、超特急らの音楽制作を担当している。