SPECIAL

2016.05.13

SPECIAL

宇崎竜童

音楽主義特別インタビュー

祝70才! 音楽を続ける秘訣を語る! 宇崎竜童

1973年のデビューから40年以上、第一線で活躍している宇崎竜童さん。今年70才になった今でも「1日1曲」を心掛け曲作りをしているという宇崎さんに、活動を続ける秘訣を教えていただきつつ、若手アーティストやマネージャーへのアドバイスまでいただいた。

text:吉田幸司

言ってしまうと「運」でしかないんですよね

宇崎さんは現在70才、40年以上も活動をされているその秘訣を教えてください。

僕はこの業界でマネージメントっていう仕事からスタートしているんですね。義理の兄貴がやってるプロダクションに呼び込まれて就職できたんです。だからそのとき僕は裏方になろうと思って入ってきてるわけですよ。で、裏方やりながら曲を書いていたら、その曲を使ってくれるっていうディレクターがいた。なぜそのディレクターが名もない僕の曲を使ってくれたのか、理由はわからないわけですよ、僕は。

マネージメントしているバンドのライブに飛び入りして、目を引いたそうですね。

6つぐらいバンドがいて、この人たちをレコードデビューさせなきゃっていう役割だったんですね。じゃあコンベンションみたいなのを開いて業界の方にも観てもらおうっていったら、その6つは全部コピーバンドだったんです。で、お前曲書いてるじゃねえかって言われて、あるバンドのバッキングで3曲歌ったら、その6つのバンドに話が来なくて、僕のところに来たんです。なぜ僕のところに来たのかいろいろ考えてみると、そういう時代だったんですね。オリジナル作るヤツがいるんだったら誰彼かまわず口説いてレコードデビューさせるとか、そういう時代でしたから。だから僕は何かデビューのために努力したかっていうと、何もしてないわけですよ。言ってしまうと、「運」でしかないんですよね。

運ですか。当初から、長くやっていこうという意識はあったんですか?

いやいや、本当は作曲家になりたいっていう気持ちがどこかにあったんで、作曲のオファーが来るようになるんだったらこのバンドをやって、このバンドでヒットを出して有名になったらすぐ解散しようかなって。だって全然歌に自信がないんだから。

人の情や縁に応える。そういう気持ちの行き交いみたいなものがあって、僕はやってこれてるんじゃないかなと思うんです。

A面買ったら必ずB面聴くだろうっていう作戦だった

そしたら、バンドでデビューしていきなり大ヒットしてしまったわけですが。

まあ、2作ぐらいアウトだったんですけどね。1作目が「知らず知らずのうちに」って歌だったんですけど、まったく鳴かず飛ばずだったんです。

バラードでしたからね、最初から。

いや、あれはレコード会社が選んでくれたものだから。のちのち、マーケティングリサーチの時代が来たじゃないですか。理解できないですよね。データの積み重ねでものが売れたりするのって、人間の生理と関係ねえじゃねえかって。どうせならビートルズみたいなレコードの出し方をしたいよねっていうのはメンバーと話しましたね。

つまり、毎回違う作風という。

そう。転がりまくってどんどん変化していくっていう。だから「スモーキン’ブギ」が当たったんで、作戦としては「カッコマン・ブギ」っていうブギを連発して、でも後ろにあまり世間で聴かれたことがないような音楽をくっつけておこうって。A面買ったら必ずB面聴くだろうから、そこはちょっとだけ作戦があったんですけど。

A面で買わせてB面で聴かせるという。

だから、どっちかっていうと本当はB面のほうが聴いてもらいたかったんです。あれ(「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」)は、リリースする1年ぐらい前からオンステージでやってたんですね。そしたら客の反応があの曲だけちょっと変だったんですよ。「港のヨーコ〜」をやると、シーンって静まり返って、で、ダダンって終わると、1秒ぐらい間があってから、ウワーッて拍手が起こる。あ、この間は本物だなって。

それからダウン・タウン・ブギウギ・バンドはいろんな音楽に挑戦しました。

でも行きつ戻りつで、シンプルなロックンロールに戻そうとか、みんなが得意なブルースに戻そうとかっていうのを5、6枚まではやってたんですけど、1980年になったらその行きつ戻りつが嫌になって。レコード会社が出してくれそうもないものを自主制作しようって。引き止められたんですけどね、東芝の社長に。で、それまでの曲をやめて。やめてもファンはついてくると思ったんですよね、傲慢だから、あの頃は。ビートルズはサウンドも曲調もどんどん変えてもファンはついていったし広がっていった。ダウン・タウンのファンは逃げたんですね。潮が引いたみたいにいなくなった。でも、めげてないんですよね。

なぜめげなかったんですか?

それまでついてきたファンの程度が低いんだって思ってたんです(笑)。そうしたらエピックの丸山さんが、うち来ない?って。なんかそういう人の情っていうか縁っていうか熱い何かに囲まれて、僕はその人たちに何かお返ししなきゃなっていう気持ちでもって応える。そういう気持ちの行き交いみたいなのがあって、こうやってやってこれてるんじゃないかなと思うんですね。

音符って落ちてるんですよ。世の中に。目に見えないだけで

やめたいと思ったこともありました?

思ったことはありますね。声があんまり出なくなっちゃったときとか。でも、めげたりしない(笑)。後悔はあっても反省のない人生だって自分で言ってるんだけど。反省するってことは、もう一回イチからやり直すとか、活動をストップさせるとかするじゃないですか、普通の真面目な人は。それをやってこなかったんで。でも、もう作品だけ書ければ、舞台に立つことはないよねって思ったことは何度かありましたね。

つまり、音楽そのものから離れようと思ったことは一度もない。

音楽からは離れられなかったですね。音符ってこう、落ちてるんですよ。世の中に、天から。目に見えないだけで。それをこう、手を出したらここに乗るんですよね。で、これを五線紙の上にパッてやれば、パパパッて出てくる。魔法みたいなもんですよね。

言ってみれば授かりものなんですね。

そう。全部授かりものなんですね。だからどっかで印税返さなきゃいけねえんじゃないかなって(笑)。

そう考えたら毎日が楽しいですね。

はい。だから僕の課題は、学生のときからそうなんですけど、1日1曲。ノルマじゃないんですけど、「1日1曲は作ろうな」って自分に言いきかせてるんです。必ず電源を入れて、鍵盤を叩いてみる、もしくはギターをジャラーンって弾いてみる。で、ああ今日はこれ以上できねえなってやめたり。だから1日1曲っていっても2小節のこともあるし、丸々1曲できちゃうときもあるし。

宇崎竜童

学生のときから「1日1曲は作ろうな」って自分に言いきかせてるんです。

嫁に「これが遺作になっていいの?」って。あぐらかけないですよ(笑)

曲ができないと悩む若いミュージシャンも多いと聞きます。アドバイスをぜひ。

自分は1日1曲っていうノルマを与えたおかげで、デビューするまでに600曲くらいストックがあったんですね。次の作品ですごく苦しんでるって人は、そういう訓練ができてないんじゃないかな。曲はできても詞が書けないとか。だったら詞が書ける人にオーダーすればいいじゃないって僕は思うんだけど。僕がそうだったように。自分が詞を書いてると、時間が足りなくなっちゃうんですよね。それで嫁に頼んだら嫁がいい詞を書ける人だったもんだから、これも運ですよね。作詞家を嫁にしたわけじゃないですから。ただの同級生ですからね。

それこそ究極の運ですね(笑)。

だから結局運ってところに戻っちゃうんだけど(笑)。運と縁っていうのはすごく大事だと思うんですよ。新人さんたちは、次の作品で苦しんでるときに何を思うだろうって。ああ、いいメロディを書かなきゃって思うのか。それともデビューさせてくれた人、レコード会社の人だったりプロダクションの人だったりに対して、なんとかありがとうっていう想いを作品で伝えなきゃダメだよねって思うのか、そう思ったら、絶対できる。

若いマネージャーへも一言ぜひ。

有名なプロデューサーとかマネージャーっているじゃないですか。たとえばビートルズのマネージャー、ブライアン・エプスタインがどういう発言してるかとか、当時の人たちってみんな一生懸命研究しましたよね。情報が少なかったせいもあったけど、それを真似たり。今のマネージャーの人たちって、どうも唯我独尊で、これでいいのだっていう納得の仕方をして動いてるような気がするんですよね。いい先輩いっぱいいるのになって。あとは、ディレクターなりプロデューサーなりマネージャーが今、ケツ叩いてるのかなって。それぐらいそいつの作品に思いを入れられるプロデューサーとかマネージャーがいたらきっとその人は育つと思いますね。

宇崎さんにはそういう方がいらした。

嫁が。まず嫁が最初に作品を聴く人ですから。最初の客ですからね。提出して聴いてもらって、「ピンと来ない」って言われたらもうアウトなんですよ。最近は「これでいいの?」って言うんです。「なんで?」って聞くと、「遺作になるのかもしれないよね。これが遺作になっていいの?」って。誰からのプレッシャーより厳しいですよね。今までどれだけやってきたって、それで台無しですから。あぐらかけないですよ(笑)。

PROFILE

1946年2月23日生まれ。1973年にダウン・タウン・ブギウギ・バンドでプロデビュー。「スモーキン’ブギ」 「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」など数多くのヒット曲を送り出す。ダウン・タウン・ファイティング・ブギウ ギ・バンドに改名し1981年に解散後は、竜童組、宇崎竜童& RUコネクションwith井上堯之、ソロなどで活躍。また、大学時代の同級生だった作詞家の阿木燿子夫人とのコンビで、山口百恵の多数のヒット曲を手掛ける。俳優としても活躍中で、現在フジテレビの月9ドラマ『ラヴソング』にライブハウスのオーナー役で出演中。

http://ryudo.jp/

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