音楽にまつわる「ちょっといい話」

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第40回 オリジナルメンバーで「横浜銀蝿40th」始動![Johnny/浅沼正人]

今回のゲスト

今回のゲスト

Johnny/浅沼正人さん

(横浜銀蝿40thギタリスト/ベルウッド・レコード代表取締役社長)
1958年、神奈川県生まれ。1980年にTHE CRAZY RIDER 横浜銀蝿 ROLLING SPECIALでデビューし、1983年の解散後はソロシンガーに。1988年にキングレコード入社、2009年に執行役員に。2013年に関連会社のベルウッド・レコード代表取締役にも就任した。

 1980年にデビューし、社会現象にもなった“ツッパリ旋風”を巻き起こしながらも、1983年12月31日、わずか3年3ヶ月で解散したTHE CRAZY RIDER 横浜銀蝿 ROLLING SPECIAL(以下、横浜銀蝿)が、デビュー40周年を機にオリジナルメンバーで復活、「横浜銀蝿40th」として2020年、1年の期間限定で活動をする。
 ギターのJohnny(浅沼正人)は、横浜銀蝿解散後はソロで活動していたが、1988年に表舞台から退き、キングレコードに入社、現在はキングレコード傘下の、マネージメント機能も持つベルウッド・レコードの社長でもある。これまで横浜銀蝿は何度か活動を再開しライブをしてきているが、Johnnyは1998年の最初の再開時にアルバム『ぶっちぎりVII』のレコーディングに参加した以外、横浜銀蝿の再開活動には一切関わってこなかった。そんな背景もあっての今回の40th、それはもうひとつのドラマというか、大事件なのである。

スタッフとしてまだ成し得てないのに戻りたくはなかった

 オリジナルメンバー4人が揃った「横浜銀蝿40th」始動のきっかけは、2018年8月に亡くなられた横浜銀蝿の初代ディレクターで元ジャックスの水橋春夫さんを偲ぶ会が2018年11月にあり、そこでJohnnyと翔が20年ぶりに再会したことだった。

偲ぶ会で翔さんと20年ぶりに会ったとき、どんなやりとりがあったんですか?

それまで電話とかはときどきしてたんですけど、「久しぶり! 元気してた?」って世間話をして、結構盛り上がったんです。そしたら翔くんに「2020年が結成40周年なんだけど、どうなのよ?」って言われて。どうなのよもこうなのよも、本当にずっと弾いていなかったので、「いや、ギター弾けないから」って言って。

そこで一度断っていたんですね。

というか、頭のなかにまたやるなんて気持ちは全然なかったので。もう平穏な晩年じゃないですけど(笑)。だけどいろいろ考えて、その1ヶ月後くらいに、飯でも食おうよって会ったんです。水橋さんのご縁で久しぶりにまた会って、これは水橋さんが「もう一回やってもいいんじゃない?」と言ってるのかなと思って。それで「翔くん、3ヶ月、練習する時間ちょうだい」って。それが12月末で、今年(2019年)の3月に合わせたんです。そしたらすごく楽しかったんですね。2020年まで1年近くあるから、もっとがんばればなんとかなるかなと思って、「また一緒にやらせてよ」って話をして、今に至っているんです。

今までも誘われてはいたんですか?

いや、翔くんから言われたのは今回初めてなんです。TAKUとか嵐さんからはときどき「どうなの?」って話はあったんだけど。まあ、いろいろタイミングが合わなかったし、自分の気持ちのこともあったし。

一度表舞台から引いた身としては。

僕は30歳のときにアーティストをやめて、キングに入ったんです。そのときは自分のなかで覚悟を決めてたんですよ。同じキングでアーティストをやってたのが、翌日からスタッフになる。だから何か自分のなかで強いものを持たなければ、やりきれなかった。横浜銀蝿って、80年代にムーブメントを起こしたんですけど、芸能的な売り方をしていたので、芸能史のほうで残っていても、音楽史のほうでは残っていない。じゃあ今度は音楽史に残るようなアーティストを、「作る」まではおこがましいですけど、関わるのを目標にしようと。その思いを糧に転身できたのもあるので、それをまだ成し得ていないのに戻るのは違うなというのもあったし、仕事が忙しかったというのもあったし…。まあ、タイミングが合わなかったというのが一番ですけど。

仲が悪かったわけじゃないんですね。

ではないです。おかげさまで2010年には「トイレの神様」(植村花菜)に関わることができたし、音楽史に残るとかそんなレベルじゃない社会現象となったAKB48にも関わることができたし。そんなこともあって今はタイミングが合ったという感じですね。

社長としての激務があるなか、ギターの練習時間はどう作っていったんでしょうか?

ゴルフの数を減らしました(笑)。あと、家から駅まで20分以上歩くんですけど、その間ずっとグーパーってやってます。

握力を鍛えるために。体もだいぶ絞り込んだそうですね。

体脂肪率でいうと、今、10%切ってますね。やっぱり30何年ぶりに観に来たファンの方に「えっ!?」って思われるのが嫌なので。「あ、やっぱりJohnnyだな」って思われたいじゃないですか。だからやれることはとにかく全部やろうと。

自分を変えたくて「Johnny」になったのかもしれない

 音楽業界内でも「Johnnyさん」で親しまれているが、その「Johnny」が生まれた物語も、ドラマチックなものだった。

社内でも社外でもずっと「Johnnyさん」と呼ばれてきたと思うんです。それに対してはどう思っていましたか?

それは変な話、高校生のときから僕、Johnnyだったので。高校の同級生に「浅沼」って言っても「誰?」っていうくらいJohnnyが一般的なので、普通です。社内でも、Johnnyはわかるけど浅沼は知らないって人もいるんじゃないですかね(笑)。

部下は言わないですよね?

いや「Johnnyさん」ですよ、みんな。

高校生のときに自分で「今日から俺はJohnnyだ」と名付けたそうですけど、それはなぜだったんですか?

いや、もうおぼえてないんですよ。ただ、小学校低学年のときはスポーツ少年で、4年生までは女の子にキャーキャー言われる人気者の浅沼くんだったのが、溶連菌感染症という病気になって、ひ弱な浅沼くんに変わっちゃったんです。小5から中3まで、運動しちゃいけないって言われて、ずっと見学してたんですよ。それが高校に入ったタイミングで、もう運動していいよって言われたんです。だから今考えると、自分を変えたかったのもあるかもしれないですね。そこで、もう一回自分をリスタートさせたいなっていうのでJohnnyに変わったのかもしれない。でもそのネガティブな時代がなかったら音楽はやってなかったので。病気になったことでギターを始めたんです。まさに人間万事塞翁が馬ですね。何が良いことか悪いことかって、あとになってみないとわからないですからね。

60歳過ぎてまた初心に戻れたのはがんばってきたご褒美なのかも

 今まで音楽シーンをアーティストとしても音楽制作者としても、ずっと見続けてきたなかで感じる、移り変わりについても聞いてみた。

横浜銀蝿が旋風を起こしていた80年代初頭と、今の音楽シーンは何が違うと思いますか?

音に関していえば、昔はうまい人しかレコードは出せなかったけど、今は機械の力で何とでもなる時代になってますよね。だけどパフォーマンスはそうはいかない。だから昔も今もライブがちゃんとできる人が強いですよね。あと、自分のなかですごい変わってきたのが、デビューする前は、別に誰に何と言われようと、これがカッコいいんだと思うことをやってスタートした。それが、キングに入って、だんだん管理職になって、来年はこれだけ売り上げ作れとなっていく。それは当たり前のことで、それを達成する喜びももちろんあるんです。だけど、そういうなかで、もう60歳過ぎてだんだん音楽生活も終活じゃないですけど終盤に来たときに、今またその昔の気持ちに戻れているんですよ。音楽を始めたときのあの純粋なところにまた来れたというのは、自分ががんばってきたご褒美なのかなというのもありますね。

2月に出るアルバム『ぶっちぎりアゲイン』でも、それが音ににじみ出ています。

スタッフのときは結構周りの評価とか気にしてましたけど、横浜銀蝿40thに関しては誰に何を言われたって関係ないですね。だって俺たちがいいと思ってるんだからいいじゃんって(笑)。これもデビュー前の話なんですけど、40回くらいオーディションに落ちているんです。そのときに今の僕たちみたいな業界の人たちに必ず言われたのが、「君たち面白いけど、ちょっと今の時代じゃないんだよね」。それが、デビューして2発目の「ツッパリ(High School Rock’n Roll(登校編))」がドーンと売れた。結局自分たちがカッコいいと信じたものをやり続けたことが良かったんですよね。

 取材当日は、トレードマークのサングラスをかけ、リーゼントに革ジャンのスタイルで、ベルウッドのインタビュールームに入ってきた。社内でも、横浜銀蝿40thのメンバーのときは、浅沼社長ではなく、Johnnyになっていた。そんな方がいる音楽業界って、やっぱり素敵だなとも思った。

text:吉田幸司

横浜銀蝿40th

横浜銀蝿40th

1979年に嵐(ds)、翔(vo)、Johnny(g)、TAKU(b)の4人でTHE CRAZY RIDER 横浜銀蝿 ROLLING SPECIAL結成。1980年にデビュー、1983年に解散。これまで何度か活動再開をしてきたが、デビュー40周年を記念し、これまでずっと不参加だったJohnnyと、2004年に脳梗塞で倒れた嵐も揃ったオリジナルメンバーで、2020年の1年限定で「横浜銀蝿40th」を始動。2020年2月19日にアルバム『ぶっちぎりアゲイン』をリリースし、3月7日(土)の横浜市教育会館を皮切りに、その後は札幌、大阪、名古屋、横浜、福岡、東京のゼップをまわる“横浜銀蝿40th コンサートツアー2020 〜It’s Only Rock’n Roll集会 完全復活編 Johnny All Right!〜”を行う。

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