音楽未来

2018.04.20

INTERVIEW

竹原ピストル

vol.43 竹原ピストル
-アンダーグラウンドからの狼煙-

昨年末、NHK『紅白歌合戦』に初登場し、文字通りお茶の間の人々の心を打ったシンガーソングライターの竹原ピストル。全国区の認知度を得るまでにのしあがった今も、アンダーグラウンド精神を忘れずに、全力の活動を続ける彼に、これまでの道程を聞いた。

text:平賀哲雄

 竹原ピストルの歌は涙を誘う。強烈に胸を打ち、いつしか眠らせていた闘志を沸々と蘇らせていく。普段あまり音楽を聴かない、車の修理工場で日々ルーティンワークをこなしている友人をライブに連れていったことがある。「ほんとは覚えているだろ? ド派手に真っ向から立ち向かって、しかし、ド派手に真っ向からブッ倒されて、歪んで、霞んで、欠けた視界の先にあるそれこそが、正真正銘、挑み続けるべき明日だってことを。」(「カウント10」)そう竹原ピストルが汗だくになりながら熱唱すると、音楽で涙することなど一度もないと語っていた友人が隣で号泣していた。理由は、自分の弱さを暴かれてしまったから。何度でも立ち上がって拳を伸ばし続けた日々を思い出したから。今、その友人はヘタクソなベースを弾きながら“絶対にカウント10を数えない”人生を必死に生きている。その友人の隣で同じく号泣していた自分もそうだ。そんな我々の人生を鼓舞し続ける歌うたい、竹原ピストルにインタビューを敢行。彼のステージから得た熱量をお返しするように質問を投げかけた。

一貫しているのは“のし上がるぞ”という気持ちだけだと思いますね。

紅白までの“のし上がり”

昨年末『紅白歌合戦』に初出場されましたが、その年のツアーで「アンダーグラウンドから狼煙が上がるぞ アンダーグラウンドからのし上がるぞ」(「狼煙(朗読)」)と歌われていて、その人が本当に日本を代表する音楽番組にまでのし上がってみせたストーリーに衝撃を受けました。

“紅白に出られるタイプの歌うたいではない”と思っていたから、すごくビックリしてうれしかったし、自分自身も“やった! 紅白だ!”と思ったんですけど、それよりもなによりもやっぱり応援してくれている人がものすごく喜んでくれていることだったり、家族もそうですけど、やっとちょっぴりは恩返しできるのかなっていう。そういった意味では特別うれしかったですね。とんでもない数の祝福が来ましたから(笑)。自分が思っている以上にすごいことなんだなと思いました。

そんな紅白出場歌手になるまで、野狐禅でのデビューから15年ぐらい要したわけですが、15年前の自分はどんな気持ちで活動していたと今振り返ると思いますか?

一貫しているのは“のし上がるぞ”という気持ちだけだと思いますね。でも何をもって“のし上がる”というのかあんまりわからないまま、ただなんとなく“のし上がるぞ、のし上がるぞ”という気持ちで活動していて、ひょっとしたら今もそうかもしれなくって。どこに自分は執着しているかというと、やっぱりステージに上がって歌うことなんで、そこさえ一生守られていれば、実はのし上がろうが下がっていこうがいいんですけど、でもそこはムキになったほうが楽しいですよ。自分が活躍すれば、周りのスタッフチームも応援してくれる人も喜ぶし。だからそこはこだわっていきたいと、今も昔も思ってますね。

竹原ピストル

1999年に2人組のフォークバンド「野狐禅(やこぜん)」を結成。オフィス オーガスタに所属し、ビクターからメジャーデビューも果たしたが、2009年に解散。

どこに執着しているかというと、やっぱりステージに上がって歌うことなんで、そこさえ一生守られていれば、実はのし上がろうが下がっていこうがいいんですけど。

野狐禅でデビュー

そもそも“音楽で何かやってやろう”と思ったきっかけは何だったんでしょう?

ちっちゃい頃から“プロミュージシャンになりたい”という漠然とした夢はずっと思い描いていて、音楽雑誌に載っているようなデモテープオーディションに応募したりとかしていて、結構いろんなところに出しまくっていたんですけど、ああいうのってたいがい、不合格だった場合は何のお便りもないんですよ。“何も返ってこないということは、不合格なんだな”と認識する。そこに何の不満もなかったですけど、唯一ビクターだけ「応募してくれてありがとうございます。残念ながら今回は審査を通りませんでした。でもがんばって」みたいな手紙をわざわざくれたんですよね。それからずっとビクターが好きだったから、今こうしてビクターからリリースできているのはすごく感慨深いんです。

そういうささいなところから絆みたいなものが生まれたんでしょうね。

そんな感じでちっちゃい頃からプロミュージシャンには憧れていたんですけど、野狐禅組んで、野狐禅で野狐禅の歌を歌い出すということについては、やっぱり一言で“衝動”以外の何ものでもないというか。大学卒業して、うっすらぼんやり“プロミュージシャンに憧れていたこともあったな”ってその夢だけが残っていて、だけど何の行動に移すこともできずに、いわゆるフリーターになってグダグダグダグダ過ごしていて、“これじゃイカンだろ! うわぁぁぁぁ!”っていうのが野狐禅だったんで、そういう感じで始まった音楽活動でしたね。

その野狐禅をオフィス オーガスタが見つけてデビューに至るわけですが、どんな出会い方をしたんでしょう?

アイドルみたいな話ですけど、結成ちょい前ぐらいからお世話になっていた、北海道は旭川に旭川フォークジャンボリーというちっちゃいフォーク小屋があるんですよ。キャパ20ぐらいの。そこでレギュラーライブをやらせてもらっていたんですけど、そこのマスターがとある音楽業界の人にデモテープをこっそり渡していて。それが千村(オフィス オーガスタ代表取締役社長の千村良二)さんとか今最高顧問の森川(欣信)さんのところまで渡りまして、“北海道にこういうのがいるらしい”と観に来てくれたんです。それで“プロにならせてくれ、デビューさせてくれ”とがっついて上京するに至るっていう感じでしたね。

1人からの再起

いざプロの世界に入って、当時はどんなことを感じていましたか?

事務所に入ったのも初めてだし、それでメジャーデビューが決まると、レコード会社の誰々、ディレクターの誰々、マネージャーの誰々ってなかなかに巨大なチームができるじゃないですか。でも誰がどういうお仕事を司っているのか全然わからないままだったから、地に足のつかないままふわふわふわふわしていて、その状態のまま“次はここ、次はここ”という感じで事態が進んでいってしまって。で、結局、やりたいのはライブだし、だったらもう一回ゼロにして“自分たちだけでやろうぜ”ということで事務所をやめるんです。

2007年に独立されてますよね。

そのあとに野狐禅自体も解散して、ソロで活動し始めて、それまでやったことのないような事務作業も全部自分でやるようになって、ライブのブッキング、宣伝、CDを作る、どうやって作ればいいんだろう? 友達んちで焼けばいいのかな? でもそれだと生産が大変だからどっか業者に出してやるのかな?っていうのを自分1人でやることによって、やっと初めて“あの人がいたからライブが決まっていたんだ。あの人がいたから取材を受けさせてもらえていたんだ”と身にしみてわかるわけです。だからといって僕は勝手にやめていったわけですから、おまけにバンドも解散しちゃっていて、とてもじゃないけど「また入れてください」とは言えないから、とりあえず“自分でやれるところまでやろう。誰か見つけてくれ!”という気持ちで年間250、280、毎日のようにステージに上がりまくっていたところに声をかけてくださったのが松本人志さんで、映画『さや侍』に使っていただいて、そこから野暮な話ですけど、動員数が増えたり、ソールドアウトもぼちぼち出てきて、“もうこの流れだろう!”と。1人でやるにはここまでが限界のような気もする。という地点に達したときに「もう一回入れて」って(笑)。

頼みやすい状況ができあがったと。

千村さんと森川さんと今のマネージャーの樋口は、一番最初に野狐禅を発掘しに北海道まで来てくれたチームだったりするんですけど、そういう昔から自分の気質を知ってくれている人にお願いして、また入れていただくことになりまして。そんなこんなである日“RISING SUN ROCK FESTIVAL”の出演が決まって、行ってみたらビクターのスピードスターレコーズで野狐禅の頃からお世話になっていた高橋さんという方がいるんですけど、その高橋さんとケータリングコーナーで出くわして、「実はまたオーガスタに戻ることになってるんですけど…メジャーデビューさせてくれませんか?」ってお願いして(笑)。そしたら「うん、いいよ」と快諾していただいて、かれこれアルバム4枚目になるという。余談をたくさんはさんじゃいましたけど、そんな感じで1人になってやっと人それぞれの役割を理解できたんですよね。野狐禅のときにそこをしっかり学んでいれば、また流れは変わったかもしれませんけど、でもやっぱり1人でそうやって経験して、大変な思いをしてみることで、今現在はスタッフ陣に対する信頼だったり、感謝の気持ちだったり、“よっしゃ! 一緒にやってやろうぜ”という一体感といったものをしっかり味わいつつ、地に足ついた活動ができているんで、必要な期間だったのかなと思ってます。

竹原ピストル

ソロになった竹原は、インディーズ時代を経て、2014年にオフィス オーガスタと再契約、ビクタースピードスターから2014年に『BEST BOUT』で再デビューした。

とりあえず“自分でやれるところまでやろう。誰か見つけてくれ!”という気持ちで年間250、280、毎日のようにステージに上がりまくっていた。

アンダーグラウンドからの恩返し

「アンダーグラウンドから狼煙が上がるぞ アンダーグラウンドからのし上がるぞ」みたいな意思って、そのとき“もう一回、竹原ピストルと一緒にやってみよう”と思ってくれた人たちに恩返しがしたい気持ちの表れでもあるんですかね?

それはもう本当に強いです。でも“俺ががんばって”という気持ちもなくはないけど、やっぱり一丸となっている実感はあるんで。チャートが上がった下がったで、同じ温度で一喜一憂できる野暮な仲間たちと(笑)一緒にやっているつもりではあるんで、すごく楽しいですし、“頼む! この曲を何かのCMで使ってくれ!”って今までしたことねぇような甘え方もできるし。

極端に言うと“もっとポップにライトにキャッチーに”といったものが求められがちな世界で、竹原ピストルさんのこのスタンスを“それでいいんだ”と突き抜けさせてくれる仲間たちがいて、それが絶対に世の中に評価されると信じてくれたからこそのCMタイアップや紅白出場だったと思いますし、そこに一丸となって向かっていけているチームってなかなかないですよね。

そうかもしれないですね。とはいえ、オーガスタやビクターに戻らせてもらったばっかりのときって、決して足並みはそろってなかったと思うんです。人としては最高な人たちが集まっていたけど、“どうグルーヴさせるか”みたいなところまでには至ってなかったような気がして。でもライブの現場に一緒に入ったり、テレビ番組の収録現場にみんなで行ったりして、ひとつひとつどうにか勝つためにみんなで試行錯誤し合って…みたいな時間が今の状況を作ってこれたんじゃないかと思いますね。

その試行錯誤の具体例って話せたりしますか?

野狐禅のときはそんなにテレビやラジオに出てなくて、ソロで戻ってきてからそういうメディアへの露出のチャンスをいただけるようになったんですけど、“どういう企画だと自分のおしゃべり力が活きるのか”とか(笑)。それで“やっぱりアドリブでしゃべるのが苦手だから、前もってフォーマットがあったほうが強いな”とか、そういうことってやっぱり実際に戦(いくさ)しないと勝因敗因がわからないじゃないですか。それでデータを集めて、みんなで必勝パターンに持っていくみたいなところで足並みがそろってくるというか。“別にこんなの、こだわらずにやったらいいじゃん”ということでも“俺、絶対にこんなのやりたくない”ということもあるから、そういう気質をわかっていただくことだったり、逆に“これ、全然やりたくねぇけど、この人が必死に頭を下げて持ってきた仕事だろうな”と感じれば“よし、やろうぜ”って気持ちにもなるし。そういうことを重ねてまとまってきたところはある。だからひとつひとつムキになれるし、楽しい。

竹原ピストル

昨年、8ヶ月に渡る弾き語りツアー“PEACE OUT”を12月21〜22日の中野サンプラザ2デイズで締めた。そして年末には初の『第68回NHK紅白歌合戦』出場を果たした。

“この人が必死に頭を下げて持ってきた仕事だろうな”と感じれば“よし、やろうぜ”って気持ちにもなるし。だからひとつひとつムキになれるし、楽しい。

竹原ピストルとしての戦

そんなチームで着々とのし上がっている竹原ピストルさんから見て、今の音楽シーンってどんなふうに映っていますか?

たとえば、ぶわ〜っといろんなジャンルの人たちが出ている音楽番組に出演しますよね。僕はギター1本持って弾き語りをやるんですけど、自分の持ち味が出せるスタイルがそれだからそれを選択してやります。で、他ジャンルの人たちも、自分たちの魅力を100%伝えるための最高の手段を選んで戦にのぞんでいるんだ、ということが直接目にして思ったことです。すべての音楽、すべてのアーティストに対して、素直な気持ちでのリスペクトをおぼえるようになりましたね。いろんなスタイルで戦っている人がいると思うんですけど、“そのスタイルでこそ、その人たちは最高のものが見せられるんだ。その人の最高の戦い方はこうなんだ!”と知ったときに“うわぁ!”っと感動しちゃったんですよね。もともとそうだったつもりですけど、よりいっそう嫌いな音楽なんかなくなりました。たとえばアイドルと言われる人たちのパフォーマンスを目の前で見せられれば、“一生懸命ってこういうことだぞ! お前、もっとやれよ!”って自分に対して突きつけられているような気持ちになるし、そういった意味でもすごく良い経験をさせてもらっているなと思いますね。すごいものを見せられれば“この人たちを応援している人たちにも気に入られてみたい!”と思いますし。

なるほど。

そうなると“自分の気持ちは残しつつ、こういうアプローチでサウンドを作ったら、この人たちだって聴いてくれるんじゃないか”という工夫を生むし、やっぱり視野を広く持つことって大事だなと思うんですよね。それによってもともと竹原ピストルを応援している人が“お前、どうした? どこに行くんだ?”と思ったとしても、“いや、それもひっくるめて楽しんでくれ!”と思うし、音楽的にそれがベストなんじゃないかと思えることは果敢に、臆することなく、人に縛られることなくこれからも挑んでいきたいなと思っています。

紅白出場も果たした竹原ピストルさんの今後の目標は?

当の本人はまだ何も成し遂げていない気持ちなんですよ。今回のアルバム『GOOD LUCK TRACK』も“ここからなんですよ”という気持ちで作ってるんです。歌うたいとして生涯でどうにか1曲、世代を越えて、時に海を越えて歌い継がれるような歌を作ってみたい。そういう志と照らし合わせるとまだまだ全然届いてないし、届かないかもなという不安もあるし、だからまだ何の満足感もない。まだまだです!

PROFILE

1976年12月27日、千葉県生まれ。1999年に北海道でフォークバンド野狐禅を結成、2003年にビクターよりメジャーデビューするも、2009年に解散。ソロとしてインディーズで活動中に松本人志監督の映画作品『さや侍』に出演し、主題歌も担当。2014年にデビュー時に在籍していたオフィス オーガスタに再び所属し、ビクタースピードスターより再メジャーデビュー。2016年には日本アカデミー賞優秀助演男優賞を受賞、2017年末には『紅白歌合戦』に出場。4月4日に4thアルバム『GOOD LUCK TRACK』をリリース。6月14日(木)より全国弾き語りツアー”GOOD LUCK TRACK”がスタート。ファイナルは12月22日(土)日本武道館。

http://www.office-augusta.com/pistol/

RELEASE INFORMATION

4th album『GOOD LUCK TRACK』

ビクター/VIZL-1352(DVD付き初回限定盤)、VICL-64979(通常盤)/発売中