音楽未来

2017.11.17

INTERVIEW

綾小路 翔

vol.41 綾小路 翔 氣志團
-二十周年上等!-

今年結成20周年を迎えた氣志團。当初は“キワモノ”的な見方を されていたはずだが、ここまでずっと第一線で活躍し続け、なおかつフェス “氣志團万博”を毎年主催しシーンに刺激を与えるなど、すっかり日本を 代表するロックバンドになっていることは誰もが認めるところだ。 綾小路 翔團長に、スタッフとともに進んできた、これまでの歩みを聞いた。

text:兵庫慎司

結成20周年を記念して、全詞曲を外部のアーティストたちに依頼したニューアルバム『万謡集』を8月9日にリリース、9月16〜17日の主催フェス“氣志團万博”を今年も大成功に終わらせ、11月から来年1月まで20周年記念ツアー“リーゼント魂”を行なう氣志團。型破りで破天荒、ラジカルで大規模、そしてとにもかくにも面白くなかったときは片時もないその活動で、日本のロックシーンに…いや、芸能界等まで含めて唯一無比の足跡を残し続けてきた氣志團の團長、綾小路翔に、その活動をともにしてきたスタッフとのかわわり方、組み方を振り返っていただいた。

いいときは僕らの手柄にしてくれて、悪いときは事務所が責任を持ってくれる。 「親だなぁ」って思いましたね。

マネージメントとの出会い

氣志團と音楽業界の最初の接点は、ディスクガレージだったんですよね。

そうですね、一番最初に声をかけてくださった方は、ディスクガレージの河津さんです。「ちょっと会いたいんだけど、一度会社まで来てもらえないかな」みたいな連絡があって。ディスクガレージなんてガキの頃から知ってるんで「何だろう!?気合い入れていこう」って、僕と星屑(輝矢)くんで、スーツ着てセカンドバッグ持って行きまして(笑)。そしたら「ワンマンやらない?」って。それから何度も打ち合わせして、ほかのバンドがどうやってワンマンやってるのかをあちこち観に行ったりして。結局そのワンマンは、キャパ500人くらいのオンエア・ウエストでやることになり、おそらくゼップ2デイズぐらいの予算は使ったと思うんです。フロアに花道作ったりとかして。河津さん、「貸しだからね、貸しだからね」って言いながらやってくれて(笑)。で、そのワンマンの直前から、ちょいちょいレコード会社の方が声をかけてくださるようになってたんですね。

それで、加茂啓太郎さん(現ソニー・ミュージック)に惹かれて東芝EMIと契約したんですよね。

はい。いろんなレーベルの方と話をしながら…そのなかで東芝ともう1社が、最後まで熱心に誘ってくださったんですけど、最終的には加茂さんの気持ち悪さに負けたっていう(笑)。どう考えても、もう1社のほうが圧倒的に良かったんですよ。条件も全然良かったし、すぐ社長さんと会わせてくれて、その社長さんがすごく具体的な提示をしてくれて。「今必要なもの全部言って。機材? 車? 事務所?」みたいな。しびれるくらい良かったわけ。それに対して加茂さんは、「これすごいんだよ」ってJAGUARさんの密着ビデオを見せられて、「あ、俺これ持ってないです!」って言ったらパッと止めて「これ以上観るんだったらハンコ押して!」って(笑)。あまりにも狂ってるから面白くなっちゃって。それで東芝に決まって、マネージメントはどうしようってなったんですけど、そのときもうマネージャーがいたんですね。

ああ、明星真由美さん、女優をやめてマネージャーになったんですよね。

そう。「レコード会社の人からお話来てるんだけど、どう思ってる?」って言ったら「もし私を必要としてくれるんだったら女優の仕事をやめます」って。そこまで言ってくれるんだったら一緒にやっていこうって決めたんですけど、結構これがネックで。「女性で、その年齢で、キャリアがまったくないマネージャーと一緒っていうのは、ちょっと…」っていう事務所さんが多かったんですね。そのなかで唯一「何でもいいから来てくれ!」って言ってくれて、しかも泣き落としまでしてくるのが、弊社ソニー・ミュージックアーティスツ(以下SMA)の河原田という男だったんです(笑)。

氣志團

メジャーデビュー当時。2001年12月、2002年1、2月にリリースされた『氣志團現象』ビデオ(VHS)3部作でメジャーデビュー、というスタイルも斬新だった。

「ちょっと会いたいんだけど」みたいな連絡があって。 「何だろう!? 気合い入れていこう」って、スーツ着てセカンドバッグ持って行きまして(笑)。

「SMAで良かった」

最初はどんな感じでした?

俺はうざかったと思いますよ。「この業界に入ってしまったら絶対聞けないから、入る前に教えてください。どういう給与体系なんですか?」って、歩合とか専属料とか全部聞いて。「スカパラみたいな大人数のバンドはどういうシステムなんですか?」とか。もちろん教えてくれませんでしたが(笑)。しかもSMAって契約が自動更新なんですよね、こっちから言わないと。今は忘れちゃったけど、当時は契約日を覚えていて、「そろそろですよね、自動更新しようとしてません? 条件アップしてくれなきゃダメですよ! 去年より今のほうが状況いいんだから」とか(笑)。絶対嫌われますよね、今思えば。あと、SMAで良かったと思ったのが、会社全体が俺たちみたいなのを面白がってくれたというか。SMAって部署ごとに分かれていて普段そこまで親交がないんですけど、氣志團はどこの部署の人も声をかけてくれる、みたいな。たぶんネタ的に言いたかったんだと思うんですけど。「うちは奥田民生がいて、YUKIがいて、スカパラがいて、あと氣志團」みたいな(笑)。あと僕らのプロデューサーが阿部さん(ABEDON/ユニコーン)だったのも大きかったと思います。社内の人たちからすると、親戚の甥っ子が入ってきたみたいな。

そこでもABEDONが効いた(笑)。

僕、うざい反面、どこかの組織に少しでも属すってなったら、目一杯つくすタイプなんです。ヤンキーイズムなんですかね。何か頼まれたら絶対やる、「あいつら入れて良かったね」って思われるようになりたいっていう。だって、当時話題沸騰だったMEAN MACHINE(YUKI、CHARA、ちわきまゆみ、YUKARIE、伊藤歩のバンド)のライブに突然ポンと出してもらったり、原田さん(ユニコーン、PUFFYらのプロデューサー)が「氣志團面白いんだから、映像を編集して持っておいでよ、奥田くんのツアーでCM流すコーナーがあるから」って言ってくれたり。「いつか恩を返していかなきゃ」みたいな。

氣志團追い風伝説

EMIチームはいかがでした?

それも素晴らしくて。「氣志團がこれから何をやっていくか年表を作ろう、何がしたいか全部言ってくれ」って。代々木公園でフリーライブやりたい、東京ドームをやりたい、紅白に出たい、全部言ったんです。自分たちでやってるのと変わらない規模だったらメジャーに来た意味がない、思いきり金かけてくれと。加茂さん、THE FUSEにかけたときぐらい俺にかけろ、と。

はははは!

で、「じゃあ東京ドームと紅白に行くにはどうしたらいいか逆算しよう」って話になって、やることを全部決めて。しかも「ホームページをやめよう」っていうのもあって。今みんなインターネットだから、逆にやめよう、情報を探して会いにきてもらおうっていう。便利なことをいっさいしない、じっくりライブをやっていく、みたいな。それをやっていったら、いろいろな人たちからお声をかけていただけるようになったんですね。実際、河原田さんチームにしてもEMIチームにしても、氣志團にここまで引きがあるとは思ってなかったと思うんです。でものってくれたっていうのは、みんなも一緒に夢見てくれたってことだったのかな、って。僕の口車に乗せられて(笑)。「こいつら、もしかしたらすごいことになるんじゃないの?」って。その頃本当に、何でも決まっていったんですよね。すぐ『オールナイトニッポン』のレギュラーが決まったり、『木更津キャッツアイ』の話があったり。僕が「俺らみたいなインチキバンドだからこそ、デカいライブやるなら“GLAY EXPO”ぐらいのことやらなきゃダメだ」とか言ってたら、向こうから話が来たり。うちの親父が、勤めている会社の所長さんに呼び出されて、「きみの息子さん、何か芸事やってるんだって? うちの木更津の土地を使って何かやれば?」みたいな。綾小路 翔という、稀代のペテン師が神風に乗った瞬間ですね(笑)。

ああ、それが最初の“氣志團万博”(2003年8月30日に新日鉄君津製鉄所内かずさクローバーパークで行われ、4万人を動員)。

そうです。あの場所を丸ごとタダで貸してくれたんですよ。それがなければあり得ないです。あと、最初の“原宿暴動”もハネたんですよね(2002年3月30日に代々木公園でフリーライブを行い、2万人を集めた)。3千人来たらOKのつもりだったんですけど…僕も前日まで「これで1千人とかだったら画的にはきついよな、空撮まで入れちゃったしな」とか心配してたんですけど、フタを開けたらびっくりするくらいの人が集まっていて。“氣志團万博”も“原宿暴動”も、僕もみんなも、あそこまでは想定してなかったんです。

結果が思惑を超えてしまった。

そうなんです。1年目はとにかくライブハウスをまわる、2年目の後半からはホールツアー、日本武道館をやって、代々木競技場第一体育館やって、次はアリーナツアーだからテレビに出て…こんなに計画通りに行くことがあるのか?っていうぐらい、順調に行ったんですよね。動員に対してCDセールスのバランスが悪いことだけが、当時から懸念されていたところではあったんですけど(笑)。そのままの勢いで、東京ドームまで行った感じでしたね。

その時期のSMAの感じは?

その時期、事務所がすごく良くしてくれたのが…計画をハイピッチで進めていくなかで、各方面に対して僕がいろいろやらかして、そのたびに謝りに行ってくれる。不祥事とか犯罪じゃないですよ(笑)? だけど、僕らの芸風がこうだから、いろんなところに怒られたり、いちゃもんつけられることも少なくなくて。でも、うちの事務所はとにかく何があってもアーティストは謝らせないんですよ。「マネージメントをしているのは私たちなので、私たちが全面的に謝ります」って、何があっても守ってくださって。いいときは僕らの手柄にしてくれて、悪いときは事務所が責任を持ってくれる。「親だなぁ」って思いましたね。だから僕たちも、移籍したいとか独立したいとか一度も思ったことがなくて。今でも甘えてるところがあるかもしれない。プライベートも含めて、世の中で唯一甘えてる場所がこの事務所なんだなっていう

氣志團

2004年は、1月に日本武道館2デイズ、7月に代々木第一体育館2デイズ、11月に東京ドーム、そして年末には紅白にも初出演と、まさに飛躍の1年になった。

氣志團にこんなに引きがあるとは思ってなかったと思うんです。でものってくれたのは、みんなも一緒に夢見てくれたってことだったのかな、って。

起死回生

DJ OZMAで氣志團が休止していた期間が終わって、再始動してからはだんだん厳しくなった、という話を、以前團長からうかがったんですね。そこからシングルの「喧嘩上等」で起死回生するあたりまでの数年間は、つらい状況が続いたという。

はい。その頃は事務所も、役員が替わったりとか、人が入れ替わりまくった時期でもあって。いろいろあるなかで、氣志團は、数字だけ見たら異常な予算を使うグループなもので。「この人たちなんなんですか?」っていう(笑)。音楽業界の状況も徐々に変わってきて、数字を見るプロたちが会社に送り込まれてきたりして…っていうのも重なった時期だったんで。急に「今年の売上、××はこれくらいだけどきみたちはこれくらいだ」とか、「ツアーのときのホテルを変えろ」みたいな具体的な話とか。「ピンチだな、これが本当のプロの世界なんだな」と思ったので、じゃあどうしようかということを、初めて自分たちで考えるようになって。そこから、とにかく考えて、いろいろ実行に移して、少しずつ少しずつ状況が良くなっていって、何年か後に「喧嘩上等」に結びつくんですけども。

そこでよくキレなかったですね。

それは、先輩たちがもっと大変になっていた時期だったから。レーベルと契約が切れたりして、「えっ、俺たちなんかの比にならないくらい貢献してきた人なのに、今売れないとこうなるんだ? そういう時代なんだ?」っていうのを目の前で見ていたんで。だったら俺たちなんかもっとがんばらないと、という方向になったんですね。

なるほど。それから、今は…去年河原田さんが一度体調を崩されて以降、氣志團からは離れられましたよね。

そうです。あのときも、この事務所はいいなぁと思ったんですね。河原田さんが倒れて、本当にピンチだったんですけど、そのときに各部署の方たちがみんな応援に来てくださったんですよ。そしたらもうまったく違う状況に変わって。さすがみなさんプロフェッショナルで、こういうときになるとチームワークも素晴らしくて。今も、みなさんの力で俺たちはやっていけてるんだな、というのはすごい感謝してます。だから、本当に僕らは…民生さんやスカパラが、いつだって後輩を拾ってくれる人たちだったんで。そこは受け継ぎたいなっていう気持ちはありますね。いまだに僕は、SMAって学校みたいだなと思っていて。マンモス校で、「芸能科は向こうの校舎だぞ」「あそこの裏番は徳光さんらしいぜ」「国生先輩に会ったら絶対挨拶すんだぞ」みたいな(笑)。困ったことがあったら、向こうの校舎に聞いてみると教えてくれるし。「こういうときどうしたらいいんですか?」「差し入れって何を持っていけばいいんですか?」みたいな(笑)。

氣志團

2012年以降は毎年、千葉県袖ケ浦海浜公園で開催されている“氣志團万博”。今年は布袋寅泰、山下達郎、米米CLUBらが出演し、2日間で5万人を動員した。

いまだにSMAって学校みたいだなと思っていて。 マンモス校で、「芸能科は向こうの校舎だぞ」「国生先輩に会ったら絶対挨拶すんだぞ」みたいな。

SMAとは?

バンド専門の事務所よりも、SMAのようなジャンルの幅広い事務所に行って良かったっていうのはあります?

僕らには合ってるなって思います。親しいバンドたちの会社とかを見ていると、そういう事務所だからこそやれていることもいっぱいあって。バンドに対する愛情がすごく深いんですよ。SMAはもしかしたらそういう感じじゃないと思うんです。ユニコーンとスカパラと真心の存在によってバンド感がありますけど、ライブハウス叩き上げのバンドって、あまりいなかった事務所だから。そういうところは、よその事務所を見ていて、いいなと思うところもあるんですけど。ただ、もし僕がそういう事務所にいたら、今のような体験はできなかっただろうなとは思います。だから今はもっともっと事務所とかかわりたいなって思っていますし、たとえばみんなが参加できる面白いイベントとか、やらせてもらえたらなぁと思っていて。大きなお世話ですけど、僕からすると、この事務所って本当に商売っ気ないな、って。もっともっと図々しくドカドカ行けば、売れるものいっぱいある事務所なのに、控え目な人が多いなっていう(笑)。でも「どんな事務所?」と聞かれたら、「いい事務所ですよ」と胸を張って言えますね。「SMAに声かけられてるんだけど」って相談されたら、「うちはとてつもない事務所パワーは持ってないし、テレビの枠とかバーターとかないけど、いい事務所ですよ」って(笑)。

PROFILE

1997年に氣志團結成。2001年12月に、3ヶ月連続3部作ビデオ 『氣志團現象』でメジャーデビュー。2002年にはテレビドラマ『木更津キャッツアイ』に出演し、認知を広げた。2003年には地元木更津で“氣志團万博”を初主催、2012年以降はフェス形式で毎年開催され、意外なラインナップで話題を呼んでいる。結成20周年記念作品として、今年8月に、全詞曲を外部発注したアルバム『万謡集』をリリースした。現在は11月9日にスタートし2018年1月まで行われる20周年記念ツアー“リーゼント魂”の真っ最中。

http://www.kishidan.com/

RELEASE INFORMATION

20th anniversary album『万謡集』

エイベックス/AVCD-93701/B(DVD付き)、AVCD-93702/発売中