名物プロデューサー列伝

2017.03.15

INTERVIEW

名物プロデューサー列伝

株式会社オフィス オーガスタ 代表取締役社長 千村良二さん

vol.70 株式会社オフィス オーガスタ 代表取締役社長 千村良二さん

今年1月にユニバーサル ミュージックと戦略的パートナーシップを構築したオフィス オーガスタ。それを機に同社の代表取締役に就任した千村さんに、これまでの音楽業界経歴から、今後の行き先についてまでお聞きした。千村さん、そしてオーガスタのあたたかさが見えてくるはずだ。

text:吉田幸司 photo:岡本麻衣(ODD JOB LTD.)

僕には経営理念はないけど、ひとつ言えるのは、
自慢できるアーティストしかやらないってことです。

オーガスタの新社長に

今年1月にユニバーサル ミュージックと戦略的提携をされたのを機に千村さんはオフィス オーガスタの社長に就任されましたが、今の率直なお気持ちをお聞かせください。オーガスタはブランド力があるし、みんなの憧れのマネージメントだと思うんですよ。

そのブランドを作ったのは先代のカリスマ社長(森川欣信現オフィス オーガスタ最高顧問)です。自分にカリスマ要素はまったくないですから(笑)。

何をおっしゃいますか。

なので、そこが苦労するところと覚悟しています。それこそブランドを守り発展させなければいけないと、とても緊張していますし、身の引き締まる思いです。

千村さんの音楽業界の経歴は、レーベルから始まったそうですね。

これ本当に恥ずかしい話なんですけど、音楽そのものは好きだったんですよ、だからってそれを仕事にするつもりは全然なくて。当時、就職試験の時期が早い会社と遅い会社があって、レコード会社、マスコミ系は全部遅かったんです。僕は夏休み期間中に友達と旅行をしていて、帰ってきたらみんな金融とか建設とか、いわゆる一流企業に決まっていて。「お前何やってるの?」「いやいや俺はマスコミだから」って言って(笑)。

そこしか選択肢がなかったと(笑)。

そうですね(笑)。当時、レコード会社でちっちゃいレーベルがたくさんあったんですよ。そこに応募して引っかかったのがユピテルレコードっていうレーベルだったんです。

その1年後には今とのつながりも見えてくるキティレコードに移ります。

キティという会社は、当時すでにアーティストマネージメント、レコード会社、音楽出版社、コンサート制作と、いわゆる360°経営をしていました。その大阪支社に入りました。そこで日常的にはラジオ・有線のプロモーションをやっていて。で、大阪に3年半ぐらいいました。そのあと東京に戻されたのがキティアーティストっていうプロダクションだったんです。

そこまでのレーベル時代を振り返って、そこで学んだことというと何でしょう?

いまだによく言われるのは、サンプル盤をADまで全員に配ってましたよねって。小さいレーベルから始まってるから、全方位で隅々までプロモーションをしていたんですよ。当時はそんなつもりはなかったんですが、あとになって振り返ると、それがためになっているなって思ってます。だってADもいつか偉くなるわけですしね(笑)。

たしかにそうですね(笑)。

当時、有線放送の各放送所にもプロモーションに行くわけですけど、それもまめに行きましたね。

レーベルからマネージメントへ

そしてその後、マネージメントへ。

で、3つやるんですよ。新人マネージャーなのに担当3つ。1人で(笑)。レコード会社のプロモーターとは違い、彼らの暮らしも管理しなきゃいけないわけじゃないですか。当時はその3つのアーティストに対して、いわゆる付き人的なこともしてましたね。もうね、寝る暇ないですよ。

そこから、いつぐらいにマネージャーとしての手応えを感じ始めたんですか?

それはまさに、THE MINKSっていうバンドを担当したときです。1988年に仕込み始めて1989年にデビュー。それは自分の意志で、ちゃんと1対1でアーティストと対峙しました。レコード会社というパートナーとともに、タイアップもつけ、目指した野音ワンマンもできました。

まさにバンドブーム時代で、あの頃ってみんなが楽しんでやってましたよね。

その頃は仕事というよりも、気がつけば365日24時間、バンドとともに過ごしていました。考えていることも、いかにバンドを売るかということばかりでした。

株式会社オフィス オーガスタ 代表取締役社長 千村良二さん

「こんなの受けないよ」って本当に言われました。だけどそれこそがオリジナリティで強みになる。

アーティストのために独立?

そこからいったん独立されますが。

当時、キティがポリグラムグループに吸収されるんです。ポリグラムはレコード会社ですから、直後にマネージメント部門を閉めることになるわけです。そうなったときに、当時残っていたアーティストを持って、1人でやろうって決心をするんです。

男気を見せたわけですね。

いや、それしか道がなかったんです(笑)。それで1997年に独立して、ハルコのデビューがV2レコードだったんです。邦楽第1弾アーティストとして契約しました。絶対売れると思っていました。だけどV2が撤退しちゃったんですよ。えー! それはないだろう!と。そうこうしてるときに、オーガスタでスガシカオが売れ始めていました。手が足りないんで手伝ってくれない?と言われて、スガの現場マネージャーを業務委託で派遣しました。2001年には元ちとせのデビューに向けて、準備が始まり、僕も業務委託で出向するんです。それから2002年のデビュー年まで現場マネージャーをやっていました。そのときもすごい経験させてもらいました。2万枚スタートでミリオンいったんです。勢いありましたよね(笑)? それで、THE MINKS、BLUE BOY時代に地方をぐるぐるワゴンでまわっていた千村が、ミリオンの元ちとせを持ってまた来たぞって全国で歓迎してもらったことをおぼえています。

当時のがんばりもあって、全国各地で、より太くつながれたんですね。。

そうですね。そしてその後、2004年にオーガスタの社員になるんです。

オーガスタでの転機と今後

オーガスタに来てからのこれまでを振り返って、転機になったことというと何でしょう?

まず第一に、元ちとせの担当になってそれがブレイクしたことです。あとは、大好きなアーティストと別れなければいけなくなったことです。うちの会社って、アーティストがやめていった経験がなかったんです。これは僕にとっては大きな出来事ですね。

逆に言うと、原点でもあった一蓮托生の大切さをそこで改めて実感したわけですね。それにしても、みなさん離れないですよね。オーガスタにはファミリー感がすごくあります。

少人数で立ち上がった事務所です。当初、アーティストもスタッフもいろんなものを、もちろん声や演奏も持ち寄って、助け合ってきたんだと思います。それがファミリーのように映るのかもしれません。結果「福耳」というユニットも生まれましたよね。

もっとも、そういう人柄の方がオーガスタに集まるというのもあるんでしょうね。

そうかもしれないですね。

そうしたことを含め、千村さんの経営理念というと、どんなことでしょう?

僕には経営理念ってものはまったくないんですけど、ひとつ言えることがあるとしたら、自慢できるアーティストしかやらないってことです。こいつはここで一番とれるって。僕を含めて、スタッフみんながそういうアーティストしかやらないっていうことが一番のポイントだと思います。

いや、それは十分、企業理念じゃないですか。しかも、オーガスタにはその説得力があります。

山崎まさよしも元ちとせもスガシカオも、100人が100人いいって言わなかったんです。むしろ、いいって言う人は少なかった。みんなとても個性の強い声です。歌詞も、いわゆる、当時求められた応援ソング、ラブソングではなかったですし、「こんなの受けないよ」って本当に言われました。だけどそれこそがオリジナリティで逆に強みになる。転じてヒットにつながる可能性はすごくあると思いました。

とてもいい話です。最後に、今後音楽シーンはどうあるべきか、どうなってほしいかをお聞かせください。

音楽業界関係者のなかには、今後は、いろんなジャンルを串刺しにした大ヒットはもう生まれないと言う人もいます。それは違っていると思います。音楽業界にいる以上ミリオンは目指すべきだし、それこそ自慢のアーティストを信じて、自信を持ってやっていくというのが、この先行くべきところだと思います。

PROFILE

株式会社オフィス オーガスタ 代表取締役社長 千村良二さん

千村良二

1958年、長野県生まれ。明治大学卒業後、1983年にユピテル工業に入社し、大阪営業所でレコードレーベル業務に携わる。1984年にキティレコードに入社、1988年にキティアーティストに配属され、THE MINKS、BLUE BOYなどを手掛ける。1997年に独立しフリーウェアプロダクションを設立、ハルコ、野狐禅などを手掛ける。その後、元ちとせの現場マネージャー(業務委託)を経て、2004年にオフィス オーガスタに入社。今年1月に同社代表取締役に就任した。

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