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2017.01.19

SPECIAL

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宮田和弥さん

special interview 1986-2017年を語る

宮田和弥さん JUN SKY WALKER(S)

30年前の1987年にアルバム『J(S)W』でインディデビュー、ホコ天やJ-ROCKブームの先駆けとなるなど、時代をリードしたJUN SKY WALKER(S)。そのボーカリスト宮田和弥に、当時のこと、そして今を語ってもらった。

text:フジジュン photos:小松陽祐(ODD JOB LTD.)

PROFILE

1966年2月1日生まれ。JUN SKY WA LKER(S)のボーカリストとして1988年にメジャーデビュー。1997年に一度解散するが、2007年に再結成し、ソロと並行して活動中。

信用できる大人たちが三つ巴で、チームで一丸となってやってくれたから、あそこまでいけたんだと思う。

ライブハウスに縁がなかった人たちを巻き込めている実感

音制連30周年ということで、音制連とは1991年にチャリティイベント“ヒロシマピースコンサート”のテーマソング「ひとつの夢」をHEAVY DRINKERS名義で制作したときからのおつきあいだそうですね。

はいはい。あれは一発録りだったんですけど名曲なんですよ。あれが25年前かぁ。

で、今日は30年前と現在というところでお話をうかがいたいのですが。30年前の1987年はJUN SKY WALKER(S)がキャプテンレコードから『J(S)W』をリリースした年です。

あの頃が21才。バンドを組んだのが中学生の頃だったので、そこからするともう35年とかになるのかな? 最初は遊びで始めて、高校に行く頃に“ライブハウスに出たいな”と思うんですけど、当時のライブハウスは敷居が高くて。やっと出れたのが福生のウズと渋谷のラママだったんです。で、ラママで門池さん(現バッド・ミュージック代表取締役、音制連理事長)に出会って「オモロいやないか」と言ってもらって、高校生バンドバトルみたいなのを組んでもらって。門池さんは熊本弁が強くて何を言ってるか全然わからなかったんだけど(笑)、気に入ってもらえたみたいでラママに出してもらえるようになるんです。だけど、お客さんが全然集まらなくて。それで「原宿のホコ天でやろうか」って話になったとき、門池さんも手伝ってくれたんです。

その頃、ホコ天にすでにバンドはいたんですか?

1?2バンドくらいかな。あとは竹の子族とかロックンロール族とか一世風靡セピアとかがいるなかで、PAや発電機を借りて、手作りでライブを始めて。お客さんも集まり始めたから「デモテープを作ろう」って話になって、下北の屋根裏で録ったデモテープを1本500円で売って。そんなことをしているうちに、ホコ天にバンドが集まるようになって、来たお客にチケットを売って、ライブハウスにもお客さんが入るようになって盛り上がっていくんです。

なるほど、そういう経緯なんですね。

当時、お客さんが「太陽の下で観るのと、ライブハウスの照明の下で観るのと、バンドが全然違って見える」と言ってて。ライブハウスは不良が集まる場所だってイメージがまだあったから、ライブハウスに縁がなかった一般の人たちを巻き込めている実感はすごくありましたね。そんななかでキャプテンレコードから声がかかってレコードを出すことになるんです。その頃、僕らはまだ20才とかだったから、門池さんという大人が力を貸してくれたのはすごく心強くて。レコードを出すことになったとき、門池さんに「俺らの事務所を作ってくれませんか?」とお願いして作ったのが、僕らの「BAD MORNING」という曲名から名前を取ったバッド・ミュージックだったんです。そこからキャプテンレコードのレコードで火がついて、ジュンスカの名前が全国的に知られるようになって。

次の日起きたら世界が変わるくらいの感覚でしたね

その翌年の1988年には、トイズファクトリーからメジャーデビューです。

8社くらいから誘いが来て、そのなかでラフィン・ノーズもやっていたバップの稲葉さん(現トイズファクトリー代表取締役CEO)が会いに来てくれて。「きみたちのためにインディーズのにおいがするメジャーレーベルを立ち上げたい」と言うんです。その頃はメジャーに行ったら魂売ったみたいな雰囲気もあったし、猜疑心もあったけど、稲葉さんの感覚を信用して、「トイズファクトリーというレーベルの第1弾としてやらないか?」という話に乗ったんです。

メジャーに行って何が変わりました?

やっぱり集客ってところは大きく変わりました。『全部このままで』を出してから、渋公、武道館と一気に会場も大きくなって。生活も大きく変わったけど、僕は渋公の頃まで家賃2万円のアパートに住んでて、打ち上げの途中で「風呂が閉まるから帰る」って言ってたくらいで(笑)。次の日起きたら世界が変わるくらいの感覚でしたね。

メジャーに行くと、プロモーションなど、音楽以外にしなくてはならないこともたくさんありますよね?

僕らはマネージメントにバッド・ミュージック、ライブ制作にハンズの広瀬さん、レーベルに稲葉さんがいてくれて。信用できる大人たちが三つ巴で、チームで一丸となってやってくれたから、あそこまでいけたんだと思うんです。お金のこととか考えたことなかったですからね。

チームを信頼してたし、全任してたと。

当時はまだ“ロックはビジネスになっていくのか?”って時代で。僕らが中学高校の頃はARB、THE MODS、ルースターズ、RCサクセションとか、ロックがまだお茶の間に入ってきていない時代だったけど、BOOWYがちょっとお茶の間に火をつけたりして。そういう姿を見て“俺たちはどうするか?”みたいに考えて、“BOOWYはテレビに出なかったから、俺たちもそうしよう”とか。芸能界とロックは離れてるんだけど、だんだんお茶の間に浸透していくみたいな面白い時代で。ジュンスカがバーンといったのも、僕らだけの力だけじゃなくて、ロックに夢を見てる事務所やレコード会社、イベンターがちょうど僕らとハマったからじゃないかと思いますけどね。

宮田和弥さん

当時のイキがってた自分と今会ったら、正座させて説教ですよ(笑)。

今の子たちのSNSは僕たちのホコ天と一緒なのかもしれない

しかしホコ天の話もそうですけど、道なき道を切り開いた先駆者的なところはありますよね。ジュンスカが道を作ってくれたから、後続するバンドの道標にもなるし。

でもそれって、ARBとかルースターズとか、先輩バンドたちが耕した場所に僕らが種を植えるじゃないですけど。そうやってつながっていくもんなんじゃないかな?と思いますけどね。今の子たちがYouTubeやSNSを使って名前を広めてというのも、僕たちがホコ天に出ていってというのと一緒なのかもしれないし。

なるほど。バンドが大きくなると、そこにかかわる大人も増えていくわけで。そういったところでの大変さはありました?

逆に大変だったのは周りの大人で、今考えると僕らが相当むちゃくちゃやっていたのを周りがカバーしてくれてたと思うんです。あれやりたくない、これやりたくないと言っても「いいよ」って。当時のイキガってた自分と今会ったら、正座させて説教ですよ(笑)。あれがやれてたのは、守ってくれてる大人がいたからで。TVKの生放送では司会がムカつくこと言ったから、フルチンになってテーブルの上を走ったんですよ(笑)。それはさすがにあやまりに行きましたけど、そういうことをよくやれたなと思って。

わはは。ジュンスカ後期は、トイズからエピックへ移籍します。

呼人が抜けて、バッド・ミュージックをやめて。ハンズの広瀬さんが「ジュンスカのための事務所をやろう」とライフを立ち上げて、そこからエピックと一緒にやるんだけど、その橋渡しをしてくれたのがディスクガレージ(現会長)の中西さんだったんです。エピック時代も「さらば愛しき危険たちよ」って名曲もできたり、非常に良い時間だったと思いますね。その後、メンバーのソリが合わなくなって、僕が「やめる」と言い出して。森くんが「和弥がいないならジュンスカじゃない」と言って、解散することになるんですが。

ステージで歌うことが特別だということは変わらない

その後、和弥さんはソロで活動を始めるわけですが。バンドから1人になっての心細さもありましたか?

意外と気楽だったかな(笑)? バンドの仲も悪くなって、一緒にいるのもストレスだったし。楽天的なので“なんとかなるさ”って気楽な感じでしたね。ソロでフラフラやってるときも、川西(ユニコーン)くんが「お前はバンドやらなきゃダメだ!」って声をかけてくれて、ジェット機を組んだり。いつも周りに恵まれて運でなんとかやってきたところがあるんで、あんまり苦労した思い出はないんですよ。野心家じゃないというか、“絶対売れてやる”みたいな気持ちもあまりなくて。アルバイトしないで、歌って生活できればいいかな?って。森くんが「和弥がいなければジュンスカじゃない」と言ったのもリーダーとしての責任感だと思うし、ジュンスカの再結成も小林が言い出して、呼人が事務所やレーベルを仕切ってくれて、その後、森くんが引っ張ってくれて、僕は神輿の上で騒いでるだけなんですけどね(笑)。

解散から10年。解散前と再結成後でシーンに変化を感じたことはありますか?

音楽は常にやり続けているんで。すごい変わっちゃったという感じはないです。新しい音楽も常に聴いてたんですが、RIPSLYMEやKICK THE CAN CREWが「ジュンスカ大好きだった」と言ってくれていて。音楽じゃなくて、精神や生き様みたいなものが受け継がれているのかなと思いますね。あと、今の子はうまいなと思います(笑)。音楽はすごくレベルが上がってますね。

30年間で変わっていないことは?

ステージで歌うことは変わらず楽しいし、その前にガチガチに緊張することも変わらないです。その緊張感がなくなったらダメだと思うんですけど。ライブ前に必ず体調を崩すから、本当は嫌なんじゃないか?と思うんですけど(笑)。それくらい特別なものだということも変わらないです。