音楽未来

2016.09.13

INTERVIEW

ザ・コレクターズ

vol.34 ザ・コレクターズ

-30周年-

30周年記念の日比谷野音で、2017年3月の武道館ワンマンを発表、 たくさんのバンドマンがまるで自分のことのように歓喜したが、 今回はみんなに愛されるそのバンド、ザ・コレクターズの 中心人物2人に、そこに至るまでの道のりを振り返ってもらった。

text:佐々木美夏

 ザ・コレクターズが30周年の機に武道館のステージに立つことを決めたとき、周囲はこれまでにないほどわき立った。スピッツ、ピロウズ、怒髪天、フラワーカンパニーズらが応援団を結成したかのように後押しを買って出、先輩の晴れ姿を今から楽しみにしている。  視界が開けるようなメロディ。通底する美学と時事性がにじむ歌詞。華のあるフロントマンのユーモア。タフに生き抜いてきたバンドの30年という時間が、ついに実を結ぶ。

コレクターズはまわり道もしたけど、でもそれで良かったと思ってるよ。

結成1年でメジャーへ

1987年にデビューですよね。ユニコーンとかレピッシュとかブルーハーツとかBUCK-TICKとか、ある意味派手なバンドと同期。

加藤そうだね。草分け的なバンドばっかり出てきた年。1989年くらいに『イカ天』が始まって急にシーンが変わるじゃない? バンドブームの前っていうのは結構けわしかったんだよ、道が。

古市バンドブームになれば楽なんだけど。

加藤各社が第2のブルーハーツだジュンスカだって探し始めるからね。

でも結成して1年でデビューですよね。

加藤ラッキーだった。その前にTHE BIKEってバンドで下地を作ったし、コータローくんが1986年に入ってから周りがざわざわし始めたけど、その手前はけわしかったね。なかなか認めてもらえなくて。今と違ってインディーズシーンなんてないから、メジャーデビューしないと世の中から認められない。歌謡界と同じ。

古市ウィラードがインディーズで死ぬほど売れたっていっても1万枚とかだからね。

加藤今のアイドルと一緒でオーディションとかコンテストとかを積極的に攻めていかないとなかなかレコードデビューできないし、ビートルズの伝説みたいなことも始まらないんだろうな、って。

テイチクを選んだ理由は?

加藤まず1986年にコータローくんが入ってすぐ、ビクターにいた人が俺たちを売り込みたいって言ってくれて、その年の暮れに自分たちでライブハウス押さえて「僕はコレクター」のPVを撮ったんだよ。ビクターの人が機材持ってくるっていうからさ。もうワクワクしてさ。

古市今考えたら宣伝の新入社員なんだよ(笑)。

加藤撮ったはいいけどその人が営業かどこかに飛ばされちゃって、ビデオも行方不明になっちゃってさ。でもそれが今回のボックスセット(『MUCH TOO ROMANTIC!〜The Collectors 30th Anniversary CD/DVD Collection』)に入るからね。ビデオを観たら“こいつら絶対ダメだわ”って感じなんだけど(笑)。でもそれだけでもステップを上がっていくような気持ちになった。だから逆に言うと、アルバム1枚出せたらそれを一生の手土産に、将来も孫に自慢しながら生きていく、そんな時代だったの。それくらい大変だったの。

古市実際そういう人も多かったしね。

加藤多かったよね。デビューしたことある人が「元プロのなんとかですけど」って電話かけてきたりすると“元プロ”いらないでしょ、って思ったけど(笑)。でもデビューするとそれくらい言えるハクがつく。

じゃあ30年後のことなんて考えもしなかった?

加藤・古市考えないよ。とんでもないよ。

加藤とにかくデビュー。

古市いいアルバムどうこうじゃなくて、とにかくデビュー。本当にデビューが遠かった。

加藤遠かった。どうしていいかわからない。で、年が明けて1987年にネオGSのオムニバスアルバム(『Attack of…Mushroom People!』)が出て。あれがすごい注目を浴びたんだよね。だからレコード会社がバーッと集まってきたの。たぶんこれをムーブメントにしようって動きがあったんだろうね。いろんなバンドが参加してたけど、ライブがちゃんとできてコンスタントに活動しててクオリティが高いのは、ストライクスとコレクターズとオリジナル・ラヴの前身のレッド・カーテンと…。

古市あとトゥエンティ・ヒッツね。

加藤それくらいだったの。そこで引っ張り上げられて、テイチクが「コレクターズはうちがやる」って。でもムーブメント自体がそんなにもたなかったんだよね。

古市半年だよ。

あの頃ネオGSのくくりに入れられるのって良し悪しでしたよね。

加藤めちゃ嫌だったよ。だってモッズをさんざんやってきたのにさ、GSってイロモノみたいにとらえられたでしょ。でもディレクターが元はちみつぱいの和田(博巳)さんって決まってたから。ムーンライダーズの前身だし、「きみたちは(エルヴィス・)コステロのアトラクションズみたいになれ」って言うから「あ、わかってんだ、この人」って。そこで「いいねぇ。オックスみたいになってよ」とか言われたらさぁ。「失神してよ」とかさぁ。

古市まあ、もともとネオGSはファントムギフトとヒッピー・ヒッピー・シェイクスの2つを指すからね。それを広げるためにいろいろなバンドが必要だったんじゃない?

ザ・コレクターズ

コレクターズは1986年結成、翌1987年にメジャーデビューと、異例のスタートを切った。写真は1989年頃のグループショット。

バンドブームの前はけわしかったんだよ、道が。今と違ってインディーズシーンなんてないから、メジャーデビューしないと世の中から認められない。

ヒット曲のプレッシャー

4年経ってテイチクからコロムビアに移るわけですけど、レコード会社が変わると環境も変わるじゃないですか。

古市給料が上がったんだよ。

加藤当時の事務所からもらってた給料が、初年度は5万円だったの。2年目も5万円。世の中バブルなのに、ひと月5万円よ? 3年目はちょっと上がって7万円になったの。そのときはしゃいだよね?

古市そうそうそう。5577、ラッキーナンバーじゃん、って。

加藤銀行の暗証番号5577にしたりして。バンドなんてそんなもんだ、ほかでバイトでもして食いつなげ、って言われて。

古市まあ、暇だったしね。

加藤でも5577じゃとてもじゃないけど生活できないじゃん。今だから書けると思うけど、テイチクのディレクターが男気があって、制作費の一部を給料にまわしてくれてたの。人間誰しも金には弱いからさ(笑)、だから心はいつもテイチクのディレクターと一緒だったんだよ。だけど事務所がコロムビアでレーベルを作ろうと。そしたら給料2倍以上上がるよ、って話になって、じゃあついていきます(笑)。移籍すれば打席は最低でも2回はまわってくるしね(註:レコード会社との契約は通常2年間)。そしたら「世界を止めて」が二塁打くらいになったから今があるけど、あれがなかったら続いてないかもなぁ。

加藤さんのなかに“ヒット曲出さなきゃ”というプレッシャーはかなりあったんですか?

加藤コロムビアに入ってからはちょっとあったね、さすがに。テイチクの頃は自由に勝手にやってたから。でも4枚目(『PICTURESQUE COLLECTORS' LAND 〜幻想王国のコレクターズ〜』)のときは精神的にちょっと具合悪くなったね。そういうこと言われ出してたから。自分が作ったコレクターズの最初の形がすごく好きだったのね。モンキーズとかビートルズとかフーとか4人のバランスで成り立ってるバンドに憧れるからさ、そこからひとつでもパーツを抜かれるとぐずぐずぐず…ってくずれていく。それに似てるかも。俺の箱庭をいじられるのがつらくて。すごい恐怖だった。

ザ・コレクターズ

コレクターズ初の海外(ロンドン)レコーディング作『Free』をリリースした頃。この翌年の1996年、10月10日にはいよいよその後恒例となる日比谷野音で10周年記念ライブを行う。

メジャーでレコードを出すことが金メダルだった時代を身にしみてわかってるから、インディーズに戻ろうって気持ちはまったくなかった。

不遇の時代

コロムビアでは契約を切られそうな危機はなかったんですか?

加藤コレクターズって面白くて、現場のディレクターとかに好かれる、まあ、人柄なんだと思うけど。特にコータローくんの。すっごい愛されるのよ。コレクターズはコレクターズでいいんだよ、みたいなね。

古市そうそうそう。

治外法権的な。

古市いや、コロムビアとも1回切れたよ。

加藤CDが売れなくなって、趣味でコレクターズをやってられないってなったとき。1999年の『BEAT SYMPHONIC』までは普通に契約してたの。ていうことは契約金が派生するでしょ。あの頃の事務所ってだいたいそうじゃん。レコード会社からもらうお金で事務所をまわしていって、あとは当たったらめっけもん。そういうスタンスでやってるから。1999年とか2000年とかにもうバンドは古いってことになって、切られたの。で、1ショット(アルバム1枚ごとの契約)でやりましょうってことになって。

古市1ショットでもやるのがいいよね(笑)。

でもレコード会社から通常の契約金が出なくなるから事務所はきつくなっていく。

加藤そう。レコード会社としては、制作費はこれくらいしかないので、これで作ってきてください、ってなるわけ。事務所はその制作費から取り分を何%か抜いて、その残りで作ってこい、と。だから制作サイドは厳しくなるし時間もかけられなくなるし。でも俺とかコータローくんはメジャーでレコードを出すことが金メダルだった時代を身にしみてわかってるから、そこでインディーズに戻ろうとかって気持ちはまったくなかった。メジャーにこだわろうと。制作費がいくらでもいいから、安いスタジオ探して作ろう、と。

でも今度は2003年に事務所からいきなり「来月から給料が出ません」と言われて。

加藤そう。しかもタイミング悪いときに言われたんだよ、2日後にテレビ収録で、そのリハの最中に「ちょっと話があるんだよ。今月で事務所を閉めたいと思う」って。テレビが終わってから詳しい話をしようってことで、俺たちは「どうにかやれないんですか?」って言ったの。給料下げてもいいし、マネージャーがいなくなってもいいし、って。そういう話もしたんだけど、出来高制ならいいよ、何割か入れてくれるなら事務所としてやってもいいよ、って。でもコータローくんはそのとき頭のなかで(算盤を)はじいたんだろうね。で、「結構です。ちょっと電話借ります」って高田馬場のライブハウスに電話して「いつ空いてる? 3月?」って切って、みんなに「2月だけしのげば3月から給料出るよ」「じゃあやめますわ」。

古市事務所が結構なパーセンテージ言ってきたからね。

加藤うか。それで頭来たんだね。まあ、俺たちも毎月給料を払うのは大変だってわかってたからね。で、次は知り合いの事務所に行くんだけど、ツメ甘く始めたらうまくいかなくてさ。コロムビアのコレクターズと一番親しいスタッフが全員ほかのレコード会社に行っちゃったりもしたし…本当によく続いたなぁ。2003年にコータローくんが舵取りしてくれなかったら、どうなってたかわからない。でも良かった。コータローくんがそういうことをすごいよく知ってるんで任せられたし、バンドとして固まったね。だからコレクターズって1986年の2月に結成してライブ数回しかやってないのに8月にはもうオリジナルメンバー2人いなくなって、9月にコータローくんとチョーキーが入ってから本格的に始動したんだけど、その1年後にはファーストアルバム(『僕はコレクター』)が出てるんだよ。コータローくんが入って半年もしたら事務所もレコード会社も契約できたから、あまり苦労してないんだよ。給料ずっともらえてるし。

古市確かに。

ザ・コレクターズ

2000年代に入ると事務所の解散などもあり苦しい時代を迎えるが、それでもコンスタントにリリースやライブを続け、バンドを止めることはなかった。

武道館やってもいいかな、ってところまで来たと感じたからやるんだよ。ハッタリで終わらない努力はするんだけど、ハッタリは必要。

30周年記念としての武道館

10年前、20周年の野音にくらべて5年後の25周年の野音は動員が激増したじゃないですか。なぜだと思います?

古市バンドの知名度が上がったからね。ピロウズとかの協力だったりで。あとは時代の感じがやっとまわってきた。

野音が満員になったときうれしかった?

加藤めちゃくちゃうれしかったねー。

古市(野宮)真貴ちゃんとスタジオに入ってたときにしらせを受けたんだけど、野宮真貴のほうが喜んでた(笑)。

あのとき加藤さん「30周年は武道館でやらせてくれ!」って言ってましたよね。

加藤言ってたねぇ。

古市あれを言ったから来年やるようなもんだよ?

加藤武道館ってみんなやってるし、照れくさかったんだよね。でもピロウズを観に行ったときうらやましくてうらやましくてしょうがなかったの。ここでできんの? コレクターズがやったほうがいいんじゃないの?くらいに(笑)。怒髪天のときもうらやましかったしフラカンのときはビビったし。

古市1回(藤井)フミヤくんのイベントで出たんだよ。そしたら良かったんだよー、武道館が。やりやすいの。

加藤せまく感じたしね。俺たちもこれくらい集められるんじゃないの?って強気になっちゃったんだよね。

古市でも本当にコレクターズが武道館やってもいいかな、ってところまで来たと感じたからやるんだよ。決めたら決めたで周りもその気になってくれるし、やることにして良かったと思うよ、すごく。ハッタリも必要なんだよ。ハッタリで終わらない努力はするんだけど、ハッタリは必要。

個人事務所の立ち上げ

ワンダーガール(個人事務所)を立ち上げたのはいつでしたっけ?

古市2008年。その年の暮れには前の事務所に隠れてTシャツ作り始めてたから。

加藤8年前もゴタゴタしたねー。事務所が変わるときってほんっとにエネルギーを消耗するから。2008年のクリスマスに、もう(事務所を)やめようと思って俺とコータローくんで機材車を取りに行ったわけ。それで社長に「給料いつ出るの?」って聞いたら「いつですかねー」って言ったんだよ(笑)。俺が機材車運転してコータローくんが隣に乗ってて、まるでトラック運転手の夫婦(笑)。目の前には夕陽が広がっててさ。忘れないクリスマスよ、あの光景。

古市年越し用の金を作るため、年末に新宿レッドクロスのライブはもう仕込んであったけどね。

すごいなぁ。

加藤そこから8年? 軌道に乗るまでの1年くらいは大変だったけどね。

古市でも音楽をやりやすくなった。

加藤そうね、それが一番だよ。CDが売れないっていうのももうみんな認めちゃったから、レコード会社もあんまりうるさいこと言わないしね。

では最後に、後続の若手たちにマネージメント選びのアドバイスを。

加藤音楽的な才能だけだとこの世界ってなかなか生き抜けないんだよ。優秀なソングライターはたくさんいるし、優秀なミュージシャンもたくさん出てきたけど、やっぱり自分をマネージメントできないとわたり歩けないよ。ショウビジネスの世界はそう。細かい話だけど、Tシャツが売れたらいくら自分のところに入ってくるかってところまで、長くやっていくんだったら覚えておいたほうがいいんじゃないかな。特にこれからの時代はね。

知ってればまわり道をしなくて済む。

加藤そうね。コレクターズはまわり道もしたけど、でもそれで良かったと思ってるよ。

PROFILE

1986年に加藤ひさしを中心に結成。のちに古市コータローらが加入し、1987年にアルバム『僕はコレクター』でメジャーデビュー。結成10周年、20周年、25周年、30周年ライブを日比谷野音で行っているが、30周年ライブのときに、武道館ワンマンを発表した。9月7日にベストアルバム『Request Hits』とボックスセット『MUCH TOO ROMANTIC!〜The Collectors 30th Anniversary CD/DVD Collection』を同時発売。10月から30周年ツアー“On The Million Crossroads Rock”がスタート。2017年3月1日(水)日本武道館でワンマンライブ“MARCH OF THE MODS”を行う。

http://thecollectors.jp

RELEASE INFORMATION

best album『Request Hits』

日本コロムビア/COCP-39625-6/発売中