#118 the band apart担当 掛川正義さん株式会社アジアンゴシックレーベル
the band apartのマネージメントのみならず、レーベル業務やROTH BART BAR ONをはじめとする他バンドの現場サポートなど、フリーに活動している掛川さん。メンバーとはつかず離れずな距離感を保ちながらも、仮に自分がいなくてもバンドだけで動けるように、と連帯意識をもって接している。
text:高橋 葵 photo:岡本麻衣(ODD JOB LTD.)
“彼らと一緒に何かをやっていること”がモチベーションなのかもしれないです。
そっちのほうが面白そうだなってノコノコとついて行ったんです
音楽の仕事を選んだきっかけを教えていただけますか?
昔、バンドを自分でもやってたんですが、自分のなかでバンドの道はダメだなと思いまして。それで音楽関係の仕事、何かないかな?と探したのがきっかけですね。渋谷のTSUTAYAがちょうどオープンする時期で、CD販売員のアルバイトを募集していたので、そこから入りました。1999年のオープンからやらせてもらって、丸3年くらいですかね。インディーズのパンクとかの担当をさせてもらってました。
そこからどうやってバンドと密接にかかわるようになっていったんでしょう?
その当時のTSUTAYAのバイトの子は、そこからレコード会社とかに入る人がすごく多くて。同期の1人が、当時175RやSHAKARABBITSがいたリミテッド・レコーズというレーベルに入って、良かったらやってみない?と誘ってくれたんです。それで履歴書を出して面接を受けさせてもらいました。
the band apartとの出会いはどのような経緯だったんでしょうか?
ちょうどthe band apartが、リミテッド・レコーズでファーストアルバムを出す前くらいだったんですね。当時のthe band apartを担当していた人がすごく面倒を見てくれる先輩で、よく現場に連れていってもらったりしていたんです。その後、その担当が独立して、バンアパと自分たちだけでレーベルをやりたい、みたいな話になって。僕は入社してまだ1年も経ってなかったんですけど、そっちのほうが面白そうだなと思って、ノコノコとついて行ったんです(笑)。それから現場まわりをずっと一緒にやらせてもらう形になりましたね。
僕がいなくてもちゃんとできるという状況になっているといい
そのときからすでに、アジアンゴシックレーベルという名前はあったんですか?
そうですね、レーベル名はありました。1枚目のCDから、レーベル内レーベルみたいな形で、アジアンゴシックレーベルとメンバーが名付けてやっていたと思います。その後、2013年、2014年くらいに当時の社長が引退して宮古島へ行っちゃって。そこでメンバーと、法人会社名としてアジアンゴシックレーベルを立ち上げたんです。僕の立ち位置はそんなに変わっていないですが、わりと紆余曲折しながらやってきましたね(笑)。
マネージメント業務に加え、レーベルとしてCD制作も行っていると。
そうですね。マネージメントに特化しているというよりは、バンドにまつわることをすべてやっていくみたいな。レコーディングのスタジオの押さえから、リリースプランを練って、リリースして、レコ発ツアーみたいな感じで。the band apartが動くときに常に一緒に動く人みたいな感じです。
マネージメントにおいて、掛川さんが特に心掛けていることは何ですか?
the band apartって、メンバー自身が結構何でもできるんですよ。活動歴もすごく長いバンドなので、現場に関して言うと、僕よりもすごくわかっている印象があるんです。ほかの若いバンドに対してもそうですけど、究極なことを言うと、マネージャーみたいな存在がいなくてもちゃんと成り立つような状況になっていればいいな、と思いながら仕事をしています(笑)。
お互いに支え合う二人三脚的なところもあったり?
そうですね。最悪、僕がぶっ倒れてもやっていってくれるだろうなっていう感じですね。そういうほうがバンドにとってはいいのかな?と思います。あの人がいないと仕事ができない、みたいな状況になるよりは。僕がいたらいたで多少ラクしてもらえればいいなとは思うんですけど、いなくてもちゃんとできるという状況になっているといいなと。そういう部分では、the band apartは大丈夫かなと思うんですけどね。
1にガッツ、2にガッツ。とにかくへこたれたら負け
バンドの活動歴も長いですが、それに比例して掛川さん自身も長く続けていらっしゃいますよね。続けてこられたモチベーションは何ですか?
ああ。やっぱり“好きだから”というところですかね。“音楽”がっていうよりは、“彼らと一緒に何かをやってること”がモチベーションなのかもしれないです。純粋に楽しいというか、あんまりストレスを感じたことはない。この人たちと仕事をしていたいな、というところですかね。
なるほど。マネージメントに必要な能力は何だと思います?
まあ、1にガッツ(笑)。1にガッツ、2にガッツ、そのあと普通免許っていうところですかね(笑)。楽器ローディとかPAさんとかって、職人さんだから手に職があるじゃないですか。マネージャーってわりと、しゃべって生きてきたなっていう実感が僕はあるので。とにかくへこたれたら負け。ヘタに知識が豊富とかっていうよりは、出だしはがむしゃらにバンドにくっついて、3年がんばれたらいいんじゃないかという気がします。
今の掛川さんが目指す理想のマネージャー像というと、どういったところでしょう?
さっき言ったことともつながるんですが、マネージャーがついているときって、たぶんみんなそれが当たり前だと思うんですよね。でも、いなくなったときに本当に必要とされる人になれたらいいなというか。これは仕事を離れないとわからない部分がいっぱいあるとは思うんですけれど。たとえば、PAさんとか、楽器ローディとか、照明さんがいなかったりすると、この人がいないとお客さんに魅せるところも魅せられなくなってくるな、っていうのを感じるときがあるので。僕がいなくなったときに、アイツがいたら良かったなって思われたらうれしいなっていう感じですかね。バンアパに関しては、ずっとやっていきたいなと思ってますよ。もうライフワークみたいな感じなので。
バンアパチームは半年先くらいのプランしか考えていないんですよ
バンアパはあと2年で20周年ですね。
そうらしいです。彼らは全員同級生なので、メンバー全員40才に近づいてきて、よくよく考えるとそろそろ20周年なのかも?みたいな、そういう感じですね(笑)。バンアパチームは、半年先くらいのプランしか考えていないんですよ。1年先くらいまで見られる人になりたいですけどね(笑)。そこは大手の企業と違って、いい意味でも悪い意味でも、メンバーと身内だけでやっているので、いろいろと決めていかないと結構そのまま、なあなあに行っちゃったりするときがあるので。20周年で何かやるんだったら、そろそろメンバーとしっかり相談したいと思います。
でも、そういったところでメンバーと距離が近いというのは、しがらみやわずらわしさはなさそうですね。
そうなんですよ。それがいいのか悪いのかはわからないですけど、みんなでやりたいことはできてるのかな?とは思っています。あと、自分的にはバンアパ以外のバンドの仕事もちょっと手伝ったりとかしているんですね。そういうところで、the band apartの仕事で培った部分をいろいろ活かせるところがあったらいいなって思いますし。逆にこれまでバンアパしかほとんど見ていなかったので、ほかの現場を見たときに、ここはこういうやり方をしてる部分があるんだなって得たものは、うまくフィードバックできたらいいなとも思っていますね。
カバンの中身拝見!
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現場用カバンはアルミケース。ライブではセットリストが変更になることも多いため、小型プリンターも持ち歩く。鍵束にはドラムのチューニングキーや栓抜きもついており、これひとつでもどこにでも行けるとのこと。 |
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