音楽未来

2016.05.13

INTERVIEW

秦 基博

vol.32 秦 基博 -デビュー10周年-

2006年にメジャーデビューし、今年11月に10周年を迎えるシンガーソングライターの秦基博。横浜のライブハウスのオーナーに見いだされ、オフィスオーガスタに所属後もペースを崩すことなく、音楽に集中できる最適な環境のもと活動を続けているが、これまでの10年を振り返ってもらうことで、その息の長い活動の秘密をひも解くインタビューとなった。

text:鹿野 淳

国民的なヒット曲「ひまわりの約束」の影響もあり、秦基博は日本を代表するシンガーソングライターとなった。彼の音楽の素晴らしさは、子供からそれこそおじいちゃんまでが楽しめる“曲の強度”にある。それぞれがそれぞれの思いで生きているなかで、そのそれぞれに対してそれぞれの解釈が浮かんでくる歌というのは、相当な許容量を持っていないといけないが、秦基博の歌にはそれがあるのだ。今回はそんな秦基博の世界がどうやって形成、確立されたのかを、メジャーデビュー10周年という節目に聞いた。

“音楽をずっと続けるにはどうしたらいいんだろう”ってことばかり考えていたし、デビューした頃も“やっとそのスタートラインに立ったんだな”って。

デビュー10周年

デビューから今秋で10周年ということで、そこに対するご自分のお気持ちというのはどういうものなんですか?

特に感慨深くってわけではなく、デビューした頃“10年選手”として見ていた人たちと同じところまで自分がきたんだなっていうのはありますけど、それ以外は特にないですかね。僕は“60才くらいまではやる”っていうのはデビューする前…20才くらいの頃からずっと思ってて。

なんで20才の頃から60才のことを考えてたんですか?

当時出ていたライブハウスのオーナーにすごくかわいがってもらってて。その人から「ずっと音楽やれよ」って口酸っぱく言われていたんですけど、それが僕のなかではかなりすり込まれていて。…だから“音楽をずっと続けるにはどうしたらいいんだろう”ってことばかり考えていたし、デビューした頃もデビューの喜びっていうよりは、“ああ、やっとそのスタートラインに立ったんだな”って感覚のほうが強かったんです。

そうやってポジティブな10年目を迎えられた歴史を聞いていきたいんですけど。まず、今の事務所であるオーガスタと出会ったとき、どういう口説き文句だったんですか?

うーん…口説かれたっけなあ…(笑)。事務所のスタッフがたまたま僕が出たライブにいあわせてCDを買って帰ってくれたんですよね。その数ヶ月後には社長が観に来てくれて。…特別口説かれた記憶がないんですよね(笑)。「お前、相撲とりになったほうがいい」とは言われましたけど(笑)。

あははははは。

“この人は何てことを言うんだ…”って思いましたもん(笑)。いまだにその第一声はおぼえてますね、しかも客も全然いないガラガラのライブハウスでね。

デビュー当初の気づきと葛藤

で、世の中に出て矢面に立ってみたわけだけど、最初から大きな注目を浴びましたよね。今振り返るとどう思われますか?

恵まれていたと思います。自分がどうってことじゃなく、オーガスタの先輩たちが築いてきた人脈だったり、当時のレーベルのみなさんや各地のプロモーターの方のつながりだったりとかのおかげだなって。…一番印象に残っているのはFMのパワープレイを43局かな? いただいたんですけど、それは当時の日本記録だったんです。それで全国各地のラジオ局にお礼をかねてプロモーションに行ったんですよね。自分の楽曲が基盤にはあったのかもしれないですけど、こうやって全国のプロモーターの方が各地の媒体の人と関係を築いて自分の曲を選んでもらっているんだなっていうのを知っていくことになって。それはいまだに大きな経験だったなって思います。…シンガーソングライターで1人で詞を書いて曲を書いてっていうところが始まりなわけで。それをレコーディングしていくこともそうだし、全国各地のいろんな人に聴いてもらうためにはこういうことが行われているんだなって体験できたので、それはすごく印象的でしたね。

2枚目のアルバムの『ALRIGHT』(2008年)とかは、スピーディに作品を作ってプロモーションしながらリリースをしていくっていう、めまぐるしい活動をしていたわけで。そこまでを振り返って今になって思うことってどんなことなんですか?

セカンドアルバムのときはすごく必死でしたね。デビューしてから音楽を作って歌うってこと以外にもたくさん音楽の仕事はあって。そのなかで自分自身がどう音楽を続けて表現していけるのかってことを初めて経験したのがセカンドアルバムを作るまでだったんで。そこはもうとにかく必死で…初期衝動で生まれてきたファーストアルバムの結果をどう越えられるのかっていう挑戦がすごくめまぐるしくて。悪戦苦闘しているところが出ているアルバムだなと今となっては思いますね。

秦基博

2006年に「シンクロ」でメジャーデビュー。翌年のセカンドシングル「鱗(うろこ)」では亀田誠治をプロデューサーに迎えた。

オーガスタでの立ち位置

この時期くらいまでは、オーガスタというファミリー性が強い事務所のなかで末っ子的な感じだったと思うんですけど、事務所での自分の立ち位置はどういうふうに考えていたんですか?

事務所の立ち位置…まあ、実質一番下でしたね(笑)。長澤(知之)くんは歳は僕より下ですけど、デビューは僕よりちょっと早かったんで。だからほぼ同期って感覚で接してますね。さかい(ゆう)くんは、デビュー自体は僕よりあとでしたけど歳は上だったんで(笑)。だからそういう意味ではずっと末っ子のつもりでつい最近まではいたんですよね。杏子さんや山崎まさよしさんっていう大看板もいますし。…でも、まあ、事務所内でどういうポジションを確立するかは考えたことないんです。とにかく自分の表現に必死だったんで。そのあとくらいからですかね、シンガーソングライターとして何を歌うのかってことを考えたとき、やっぱり“山崎まさよし”って存在はすごく大きくて。弾き語りで武道館をやった人ってこともそうだし、パイオニアですよね。自分が10代でライブハウスに出ていた頃なんて、山さんの真似をしている人たちが山ほどいましたから。そこに対してはちょっとあとから意識できるようになっていったのかな。

ご自分の歌詞の世界っていうのはどういうふうに位置づけられているんですか?

うーん…どうやってリアリティをそこにもたらすのかってことは考えていますね。それは恋愛でも毎日の暮らしのなかでのことだったりでもそうで。…すべてが現実に起こったことではなかったとしても、どうやったら手触りとしてリアリティを感じる言葉を書けるかっていうのは自分がどう生きているのかってことを掘り下げることだとも思うし、それって結局は“オリジナリティ”ってことだと思うんですよね。自分が思うことっていうのはこの時代に生きている1人の人間が考えていることだから、その根っこでリスナーとつながれるといいなって。本当に何気ないこととか、なんか気になっているんだけど言葉になっていないことだとか、そういったことが歌っていけたらいいなって思うんですけど。

そして名作『Documentary』(2010年)。この作品で世の中に対して秦基博を位置づけることができたと思うし、現実的にヒットもしました。そして、秦くんのアーティストとしての立ち位置が明確に誰の目にも映った瞬間だったのじゃないのかなって思うんですけど。

それまでは1年に1枚出していたんですけど、じっくり作ろうっていうのは思ってて。本当に自分が作りたいサウンドや、やりたい音楽っていうのをもう一回見つめ直すっていうタイミングだったとは思うんですよね。そういう意味では、うちの事務所って状況とか立場に関係なく、音楽に対しては懐が深いから良かったです。新人だろうがなんだろうが、音楽を良くするためには何でもやるっていうところがあって、じっくり作らせてもらいました。実際、デビューする前からすごいミュージシャンの人が一緒にデモを作りに来てくれていたり、すごくいいスタジオでやらせてもらっていたっていうのもあったんで。そのへんに対する躊躇がないんですね。『Documentary』を作るときも「こうやりた い」って言ったら「じゃあやりなさい」って感じだったんです。だから音楽制作に関してはすごくアーティスト性を尊重してくれるとは思いますね。ほかのことはわからないですけど…いろんなことがあるんだろうなあっていうのは、なんとなく感じ取ってはいます(笑)。

秦基博

2010年にはサードアルバム『Documentary』をリリース。CDショップ大賞の準大賞を獲得し、グンと評価が高まった。

詞、曲、歌がなんせ大事というか、そこがちゃんとできていれば大丈夫っていうのはあると思うんです。結局何を歌っているのかってことだと思うし。

シンプルなメッセージ

そして「水無月」(2011年)の話をお聞きしたいんですけど。これは曲自体は震災の前にできあがって、リリックは震災のあとに書かれた曲です。

本当にシンプルにいいメロディを作ろうってところから作り始めていって。自分が思うグッドメロディって何だろうってことに向き合って曲作りをしていたんです。震災があって、音楽で何ができるかっていうのは世間一般でも問われていたし、実際自分もすごく考えたんですけど、とにかくシンプルにグッドメロディを書こうと思ったことと歌詞もどこかでそれにリンクをしていて。単純に自分のメッセージを伝えていくしかないんだっていうシンプルなメッセージが歌詞にもなりました。…音楽に何ができるか?って問いに対する自分なりの答えっていうのは、そこにある根源的なものをぶつけていこうってことだと思うんです。「あるがまま」って歌詞にも出てきますけど、いろんなことが吹っ飛んだ瞬間だったと思うので、飾るってことが通用しないっていうのもわかったし、それが「水無月」って曲ですね。

『Signed POP』(2013年)のあたりから、秦くんの音楽って音を抜くときはものすごく抜きますよね。それはシングルといえどもそう。で、「ひまわりの約束」(2014年)しかりで、結果的に抜いたものが人に受け入れられる状況を作って今に至っています。それってすごく勇気がいることですよね。

あるとき、音楽番組に出ているときにシンガーソングライターってメインストリームではないんだなって思った瞬間があったんですよ。今の音楽シーンのなかで、1人でギターを持って歌うのって少ないんだなって。…音を抜いていくこととかは、そことちょっと似ていて。こんな音楽やってる人いないだろうなっていうところもあるんですよね。サウンド的にもシーンのなかで逆に目立つ手段なんじゃないかなって思ったこともありました。「アイ」(2010年)とかはストリングスがあってもおかしくない曲なんですけど、それは入れないようにしたし。そのへんはそういうことを考えながらやってます。

今、おっしゃったことって、自分の音楽はそれでいいんだ、それで伝わるんだっていう、自分と自分の音楽への確信がないとできないことだと思うんですよね。

詞、曲、歌っていうのがなんせ大事というか、そこがちゃんとできていれば大丈夫っていうのはあると思うんです。アレンジっていうのは最後にプレゼントにリボンをかけるようなもので、どんなリボンが受け入れられるのかってところだったりもするんですよね。結局何を歌っているのかってことだと思うし。

秦基博

2014年リリースの「ひまわりの約束」がドラえもん初の3D映画主題歌になり、オリコン64週チャートインのロングヒットに。

自分から発したものが、最終的に聴いてくれた人のものになるっていう喜びを感じたいなって思ってはいるんですけど。

「ひまわりの約束」の大ヒット

そして国民的ヒット曲と言っても過言ではない「ひまわりの約束」。この曲を作ったときに、この状況になるということは――。

いや、全然思ってなかったですよ(笑)。で も、歌詞の1行目ができたときはいいなあと思いました。あとはとにかく必死で、締め切りを2回くらい破って作ってるんで(笑)…すごく不思議でした。最初は『ドラえもん』の映画のヒットと一緒に曲も受け入れられていっている感覚もあったんですけど、映画が終わってもずっとチャートに入っていたりとか、自分がテレビに出て歌うとまたチャートが上がったりっていうのがずっと続いていたので。なんでなのかな…とは思ってました(笑)。でも、すごくシンプルな曲なので、それは強みだったのかなって思いますね。きっかけとしては『ドラえもん』っていう映画があって、大人はもちろん子供も観るので、子供にも何か残したいなって。なるべく子供でも理解できる言葉を使いたいっていうのはあったんですよね。「どうして君が泣く の」っていうのは幼稚園児でもわかる言葉だし、「ひまわり」っていうのも黄色くて明るくて、あったかいイメージって子供でも持ってると思うんですよ。そういうふうに作ったことっていうのが幅広い層に受け入れられるひとつの要因だったのかなって。

極端な話、秦くんが死んでもこの曲は残っていくだろうし、秦くんが死んでもこの曲は歌われていく可能性がある曲だと思うんです。

運動会とか卒業式、卒園式、結婚式とかでこの曲が歌われているっていうのを聞いたときに“人のものになったんだな”って思いましたね。僕自身、曲を作るときってそれをすごく思うんですけど、自分から発したものが、最終的に聴いてくれた人のものになるっていう喜びを感じたいなって思ってはいるんですけど、「ひまわりの約束」ではそれを特に感じていて。作るときに、何かをすごく変えたわけではなかったんです。それはひとつ僕のなかでは自信にはなっていて。…自分の音楽を表現していくなかに「ひまわりの約束」はあったので、それが世の中に受け入れられるのなら自分の音楽のやり方も決して間違いではないんだなって確認をすることもできて。

現在の活動スタンス

そういう自信と勢いも全部背負って新しいアルバム『青の光景』(2015年)を作られたと思うんですけど。

このアルバムから自分でアレンジもするようになって、自分のなかにある音やイメージを形にすることがこのアルバムのテーマだったんで、そこにはとことん向き合いましたね。それこそアルバム4枚を通して日本のトップミュージシャンの方とさんざん作品を作ってきたので、やり方とか音をどう仕上げていくのかとか、そういった意味ではずっといろんな人の弟子だったんで(笑)。でも、それがなかったら全部自分でアレンジしてってこともできなかったと思うし。ようやく『青の光景』を作るっていう段階に入っていって、自分のなかの手札がそろっていったっていう感覚でした。

最後になりますけど、10年間のなかでシーンも変わってきましたし、音楽の聴かれ方もCDの時代から何らかの時代に移行していくかもしれない過渡期のなかにいると思うんです。そういうものに対して音楽家としてどういう風を感じながら活動をしているんですか?

音楽をそもそも聴かない人もいたりして、音楽っていうのが絶対的なエンタテインメントとしてではなく、数あるもののひとつになってはいると思うんですよね。でも、そんななかでミュージシャンとしてできることって、それこそどうやって表現を突き詰められるのかってことだと思っていて。“この感覚が欲しかったら秦基博を聴くしかないな”っていう感覚を、どれだけ自分の世界として提供できるか。あとは音楽が持っている良さ―たとえば、音楽を聴きながら旅をしたり、車に乗ったり、歩いたりしていると、ちょっといつもとは違う場所に連れていってくれる良さはすごくあると思っていて。それが僕はすごく好きなんですよ。自分の音楽を通してそういう感覚をリスナーに届けられる作品を作りたいなって思いますし、それには自分の表現を突き詰めていくしかないのかなって。

PROFILE

1980年10月11日、宮崎県生まれ、横浜育ち。横浜のライブハウスF.A.Dを中心に活動後、オフィスオーガスタに所属。2006年“Au gusta Camp 2006”にオープニングアクトとして出演し話題を呼び、11月にシングル「シンクロ」でメジャーデビュー。2009年3月には初の武道館公演をソールドアウトさせる。2014年には映画『STAND BY MEドラえもん』の主題歌として書き下ろした「ひまわりの約束」がオリコンチャートに64週チャートインするロングヒットとなる。現在は昨年12月にリリースされた5thアルバム『青の光景』を引っ提げての全国ツアー中で、ファイナルは6月3日(金)4日(土)東京国際フォーラム ホールAでの2デイズ。

http://www.office-augusta.com/hata/

RELEASE INFORMATION

5th album『青の光景』

オーガスタレコード/アリオラジャパン/AUCL 194(通常盤)/発売中