音楽未来

2016.01.09

INTERVIEW

いきものがかり

vol.60 いきものがかり〜路上から10年〜

「どんな人も1人では絶対に成功しないんで。」 地元の厚木・海老名など小田急線沿線で路上ライブを繰り広げていた3人が2006年にメジャーデビューしてから、今年でちょうど10年。 甲子園の入場曲になったり音楽の教科書に掲載されたりと、今や国民的グループになったいきものがかりに、マネージメントとのかかわりについて、この10年を振り返っていただいた。

text:田家秀樹

いきものがかりのデビュー曲「SAKURA」を聴いたときの新鮮な驚きは今も忘れない。みずみずしさと甘酸っぱいようなせつなさが入り混じった繊細な気持ちの動きはJ-POPそのものという印象だった。今年はあれから10年。デビュー日の3月15日には60曲入り(初回生産限定盤収録曲数。初回仕様限定の通常盤は45曲入り)の“超”ベストアルバムが出る。そして、夏には地元での野外イベントも予定されている。結成が1999年。すでに15年を超えるキャリアを本誌ならではのテーマで語ってもらった。

マネージャーといっても半分親みたいなところがあって(笑)。当時二十歳そこそこだったんで、イチから教えてもらったみたいな感じでしたね。

マネージャーとの出会い

“いきものがかり、マネージメントを語る”という、珍しいテーマのインタビューです(笑)。マネージャーという存在が登場するのは、どのあたりからですか?

水野一番最初についたのは僕らを拾ってくれた女性がいるんですけど、彼女が最初のマネージャーということになりますね。でも、マネージャーといっても半分親みたいなところがあって(笑)。当時二十歳そこそこで業界のことも何にもわかってなかったんで、イチから教えてもらったみたいな感じでしたね。

アマチュアのバンドでも、友人がそのままマネージャーをやってる、みたいな例もありますよね。

山下僕らの周りにもいました、友達がマネージャーみたいなこともやって、運転手として一緒にツアーをまわってるみたいな。ウチらはそうじゃなかったです。自分たちでずっとやってて、その女性と出会ってそのままキューブ(所属事務所)に入りましたからね。

彼女とはどうやって出会ったんでしたっけ? マネージャーとしてじゃないでしょ。

山下最初はそのライブハウスに、ほかのバンドのマネージャーで来てたんです。そうしたら次のワンマンのときに事務所の社長を連れて観に来て、契約したいということになったと思います。

そのときに“彼女をマネージャーに”みたいな希望をされたんですか?

水野いや、こちらからはいってなくて。

吉岡気づいたらそばにいて、いろんなことを組んでくれて良い方向に導いてくれて。細かいところですけど、こういう衣装が良いんじゃないかとか。ステージに乗るための細かいことも教えてくれて。こういうのがマネージャーさんなのかなっていう感じ。

水野本当に親みたいでしたよね。弁当のことをよく気にされてました(笑)。

吉岡よっちゃんお腹空かない?とか。路上ライブをやってる頃、食事はラーメンとかだったんですけど、彼女がついてからはファミレス。ラーメンじゃダメだよ、食べなよ、食べなよって(笑)。

水野甘やかされてましたね(笑)。

芸能界は怖いとか、マネージャーというのはどういう人なんだろうとか、疑心暗鬼になったりしたことはないんですね。

水野あんまりそういうのはなかったですね。最初に事務所と契約するときは僕らも何にも知らなかったんで、大丈夫か大丈夫かって不安になったこともありましたけど、ホームページを調べて、これはだまされてないかとか(笑)。子供だったんで、そういうのは少しはありました。でも、そんなに大きな問題にはなりませんでしたね。

2003年に初代マネージャーに見出され、2004年にキューブとマネージメント契約、2006年にシングル「SAKURA」でメジャーデビューした。

マネージメント契約

路上時代は、ライブハウスへの連絡とかは自分たちでやっていたわけでしょう?

山下一番最初はそうでしたね。

水野細かい話なんですけど、彼女に見つけられてから事務所に入るまでに1年かかってるんですよ。すぐに「きみたち、ウチに入らないか」にはならなかったんです。きっといろんな様子を見てたんでしょうね。1年くらい自分たちでワンマンライブをやったりするのを見て、音源とかを聴いてくれて、次の年の春に入ったんですよ。

吉岡そういう意味では、ちゃんと入るまでの間に自分たちも多少知っておかないといけないというのはあったんだと思う。一回、彼女に会いに行ったんです。彼女がほかのバンドさんのライブに来てるらしい、という噂を聞きつけて、少しでも話をして状況を知りたいと思って会いに行ったんですよ。

水野事務所が決まってからレコード会社が決まるまでに1年かかって、そこから実際にデビューするまでにまた1年かかってますからね。1年で済んだからうまく行ったといういい方もできるんですけど、当時の自分たちにとってはもどかしい感じもあって。事務所に入って最初にやってくれたのが、インディーズの『七色こんにゃく』っていうアルバムのときかな。

2015年の11月の結成記念日に出た両A面シングル「ラブとピース!/夢題〜遠くへ〜」の「夢題〜遠くへ〜」が入ったアルバム。

山下そうです、そうです。同時にライブハウスで3ヶ月に1回くらいのペースでライブをやるようになったかな。

水野東京のライブハウスに出られるようになって。ディスクガレージか何かの“全力投球!!”というイベントでO-Crestとか、ちょっとずつ出られるようになりましたね。

吉岡CDを作ってもらったりね。

水野「地元のFM横浜でオーディション番組があるから応募してみたら」といわれて出したり。でも半分自分たちでやってましたけどね。まだそんなに大きなことになってないから。やることはそんなに変わってないんで自分たちでやりなさい、と。でも、スタジオ代は払っていただいたりとかサポートをしてもらったり、こういう発言はしちゃダメとかいわれたり。

2010年にリリースした18thシングル「ありがとう」はNHK連続テレビ小説『ゲゲゲの女房』主題歌として大ヒット。高校の音楽の教科書にも掲載されている。

基本的に3人、力がないところからのスタートなんで。今みたいにみんなに知ってもらえたというのは、力を合わせてチームでヒットしたからだと思うんです。

マネージャーの交代

山下印象的だったのは、事務所に入ってから何回目かのワンマンのときに初めてローソンチケットでチケットを販売してもらったんですよ。そのとき初めて「事務所に入ったんだな」と思いましたね。そんな流通の仕方をしてなかったですから。

吉岡その女性マネージャーがウチの親と同じくらいの年齢だったんですよ。CDの特典とかを家で撮影するという企画があって、それぞれの家に来たとき、保護者とすごい打ち解けていたという(笑)。そういうのも近づく、安心する要因ではありました(笑)。

水野でも、彼女がすごいなと思ったのは、その後、一世代下の若いマネージャーがアシスタントみたいについたんですよ。そうしたら彼女は、もう彼に任せるからって。私はこの事務所では新人を見つけなきゃいけないと思ってる、きみたちがうまく軌道に乗ったら私は必要ないから離れる、若い子たちが経験していかないといけない、とおっしゃって。ちょうどレコード会社とちょっとしたすれ違いも出てきたりして、そのタイミングで僕らから離れていったんですよ。そのプロ意識というか、変に自分で囲って、これは自分の成果だといわない人だったんで、それはすごいなと思いましたね。

レコード会社とそういう場面もあったんですか。

吉岡デビューする直前ですね。ディレクターも私たちにいろんなことを叩き込もうとするタイプで、彼女(初代マネージャー)は彼女で親目線というと変ですけど、包み込むように気持ちをくみ取ってくださる方で、かみあわなくなることもあったんですよ。そうなったときに本当に自然にすっと現場からいなくなって、男性マネージャーの方がその役目になりましたね。やさしく見守るやり方じゃなくて、意見がガッと表に出るようになった。

その彼が人事異動的についた。

水野そうですね。もともとはアーティストだった人なんですよ。バンドをやめて、別のバンドを手伝っていて、バンドと一緒に事務所に入ってきたんですけど、そのバンドが解散していなくなってしまって僕らのところについて。僕らより10才上で。新人も含めてアーティストにつくのは初めてだったと思うんです。僕らもがっぷりよつでマネージャーと組んだというのは彼が最初ですね。

でも、そんなにマネージャーが代わるバンドじゃなかったという。

山下そうですね。彼は10年近くついてくれましたから。何でしょう、対レコード会社とかのバランスが良かったということですか。自分もバンド経験者だからレコーディングのシステムや事務所とレコード会社の役割とかわかってましたから。そこは助かりましたね。

マネージャーとの衝突

彼がいて助かった、という場面はほかにもありそうですか?

水野それは全部でしょうね。特に最初の5年とかはめまぐるしく動いてましたし。メンバーとマネージャーって365日、四六時中一緒にいるわけじゃないですか。だからすごいたくさん会話もしたし、曲やライブで挫折もするじゃないですか。うまく歌えなくてディレクターにいろいろいわれたりとか。そのなかで一緒に背負ってきたんで、あのときこういわれたとか、あんなことしてくれたというより、すべてが一緒でしたよね。

一緒に泣いてくれたとか。

水野よく泣いてましたけど(笑)。よくいってたのは、彼もアーティストだったときがあって、脱退しちゃったんですよ。彼のなかでは許せないことがあってそうしたんですけど、自分は逃げてしまった、という思いがずっとどっかにあるらしいんです。僕らもいろんなことがあったんですけど、ともかく3人があきらめずにがんばってるから、自分も逃げないでいたい、みたいな気持ちがあったというのは、いろんなタイミングでいってましたね。

吉岡10年目が近くなって、そういう話をするようになりましたね。バンドが10年やるって、本当にすごいよ、っておっしゃってくれて。最初はまだ誰も知らないところからデビューして、少しずつみんなに知ってもらえるようになる段階って、ものすごくめまぐるしいわけじゃないですか。忙しくなることも初めてだし。何ですかね、私の場合は勢いだけで続けていて、バランスを見つけないといけなくて。途中で自分を見失うこともあって。

そういうこともあったんですね。

吉岡睡眠時間が少なくなったりして、数時間で大きな舞台に立たなきゃいけないこともあって。でも、そういうときにもマネージャーがそばにいてくれて、そうした不安を受け止めてくれたのも助かりましたね。

いきものがかりは事務所が売ったとかあるじゃないですか。その通りだと思うんですよ(笑)。僕らの立場でいえば、そこまで僕らを愛してもらえたというのが誇らしいと思う。

いきものがかりとマネージメント

洋楽だとビートルズとブライアン・エプスタインみたいな関係もありますよね。

山下ですね。でも、俺、対マネージャーとか、あんまり意識したことはないかな。

水野俺、めちゃくちゃ意識してる(笑)。

吉岡2人、全然違う見解ですよね(笑)。

これがいきものがかり(笑)。

水野でも、ビートルズの例とかぶせるのはおこがましいですけど、いきものがかりって基本的に3人、力がないところからのスタートなんで、ヒットが出て、今みたいにみんなに知ってもらえたというのはチームで売ったからだと思うんですよ。マネージャーの人もそうだし、レコード会社の宣伝や制作の人もそうだし、必ずキーパーソンが何人かいて、その人たちが最大限力を合わせる形を作ってくれて、チームでヒットしたと思うんです。誰か天才的なマネージャーがいて、何かムーブメントを作ったということじゃなくて、チームで御輿を作って、そこに僕らも乗ってがんばったというグループなんじゃないかと思います。

吉岡事務所のスタッフだけじゃなく、レコード会社の人もいまだにいろんなこといってくれますよ。この間、「聖恵のアイラインの太さを変えないか?」ってライブ制作の人から提案されて、そんなこといわれたのは初めてだから感動したってメイクさんがいってて。そういうこともいってくれるんだ、と思って。私たちの知らないところでそういうコミュニケーションが取られてるんだなと思って。恩恵受けまくってます(笑)。

水野スポンサー系の人たちとやりとりする部署の人が、マイクの持ち方とか手の広げ方までいってくれますからね(笑)。いろんな力が集まってるという。ありがたいことだなと思います。

あんまりいわれると自分を見失うということはないんですか(笑)。 水野 見失ってると思うんですよ(笑)。デビュー前にディレクターにしごかれた期間というのがあったんで、そのときに見失うだけ見失ってますからね(笑)。

山下あのときは悲観的になってて、俺もやめようか、というところまでいってました。

水野それで、もうちっちゃなことではへこたれなくなった、というのはあると思います。

吉岡あの頃の経験が道標になってますね。

水野よくいわれたのは、レコード会社と事務所がこんなにちゃんとタッグを組めているチームは少ないって。僕らはこの現場しか知らないんですけど、外からはそういわれましたね。

2015年、メジャーデビュー10年目の幕開けとなる全国アリーナツアー(全国13ヶ所26公演)には、自身過去最大規模の25万人を集めた。

未来のバンド、マネージャーへ

これからデビューする若いバンドとか、マネージメントに興味を持っている人たちにはどんなことがいえそうですか。

水野既存の形にこだわる必要はないと思うんですけど、どんな人も1人では絶対に成功しないんで。どんな形でもいいからチームを作らないと。ウチら、3人だけでやっていたときでさえ、高校のときの仲間がサポートメンバーに加わってくれてライブができたとか、人に助けてもらうことでしか何かができないグループだったんで。そうやって前に進んでこれたから、チームを作ることを何とかやるのが良いんじゃないかとしかいえないです。

山下そうだと思います(笑)。

水野僕、ネットを見るの好きなんですよ。いろんな意見とか(笑)。いきものがかりは事務所が売ったとかあるじゃないですか。その通りだと思うんですよ(笑)。魑魅魍魎みたいなというか、そういう方法は使ってないんだけど、まっすぐな方法で一生懸命売ってくれた結果だし、僕らの立場でいえば、そこまで僕らを愛してくれた、愛してもらえたというのが誇らしいと思ってるんですよ。 

PROFILE

小学、中学、高校と同じ学校に通っていた水野良樹(g)と山下穂尊(g、harmonica)が1999年2月1日に結成。同年11月3日に吉岡聖恵(vo)が加入し、現在の編成に。小田急線本厚木駅や海老名駅周辺で路上ライブを繰り広げながら話題を集め、2006年にシングル「SAKURA」でメジャーデビュー。2012年には5度目の出場となった紅白歌合戦で紅組トリを務めた(現在まで8年連続出場)。31枚目のシングル「ラブとピース!/夢題〜遠くへ〜」、ライブDVD&Blu-ray『いきものがかりの みなさん、こんにつあー!! 2015 〜FUN! FUN! FANFARE!〜』が発売中。メジャーデビュー10周年を記念し3月15日には“超”ベストアルバム『超いきものばかり〜てんねん記念メンバーズBESTセレクション〜』をリリースする。

http://ikimonogakari.com

RELEASE INFORMATION

best album『超いきものばかり〜てんねん記念メンバーズBESTセレクション〜』

初回生産限定盤(4CD)
エピックソニー/ESCL-5555〜58/2016年3月15日発売

初回仕様限定盤(3CD)
エピックソニー/ESCL-5560〜62/2016年3月15日発売